「スティーブ・ジョブズ」の版間の差分
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[[1971年]]、高校生になったジョブズは、ヒューレット・パッカードの夏季[[インターンシップ]]で働いていた時に、[[スティーブ・ウォズニアック]](ウォズ)と出会う。容姿も性格も正反対の2人であったが、すぐに意気投合した。ある時、ウォズの母親からもらった「[[エスクァイア]]」誌1971年10月号に掲載されていたブルー・ボックスと呼ばれる装置を使って、無料で長距離電話をかけるというフリーキング(不正行為)の記事を読んだ2人は、スタンフォード大学の図書館に入り込み、[[AT&T]]([[グレアム・ベル|ベル]]社)の技術資料を見つけ出して、自分たちでオリジナルのブルー・ボックスを作り上げた。2人は、この装置で長距離電話をかけまくったという。ウォズは、この装置を作ったことで満足したが、ジョブズは、当時ウォズの通っていた[[カリフォルニア大学バークレー校]]の寮で、1台100ドルから150ドルで売りさばいていた。装置自体は1台40ドル程度で、大いにもうかったようだが、そのうち銃で脅されるような状態になり、身の危険すら感じたジョブズは、一切の販売を止めてしまう。
[[1972年]]、オレゴン州の
=== アタリとのかかわり ===
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