「レーモン・ド・ポワティエ」の版間の差分

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[[Image:RaymondOfPoitiersWelcomingLouisVIIinAntioch.JPG|300px|thumb|right|アンティオキアに到着したルイ7世を歓待するレーモン]]
'''レーモン・ド・ポワティエ'''(Raymond de Poitiers, [[1099年]]? - [[1149年]][[6月29日]])は、[[アンティオキア公国]]の支配者(在位1136:1136年 -1149) 1149年)。[[アキテーヌ]]公[[ギヨーム9世 (アキテーヌ公)|ギヨーム9世]]の二男。
 
アンティオキア公国の摂政だった[[ボードゥアン2世 (エルサレム王)|ボードゥアン2世]]と[[フールク・ダンジュー]]に従い、レーモンは10歳の女公爵[[コンスタンス (アンティオキア女公)|コンスタンス]]と結婚した。公国を思いのままにしようとしていた、コンスタンスの生母アリックスから幼い女公爵を法的にも引き離すためで、公国にとって救いの主だった。アリックスには、美男のレーモンを彼女の夫にするように見せかけていたため、恥をかかされたと知った彼女は亡命した。
コンスタンスとの間に3子が生まれた。[[ボエモン3世 (アンティオキア公)|ボエモン3世]]、[[マリー・ダンティオケ|マリー]]、フィリッパである。
 
{{先代次代|[[アンティオキア公国|アンティオキア公]]|1136年–1149 – 1149年|[[コンスタンス (アンティオキア女公)|コンスタンス]]|[[ルノー・ド・シャティヨン]]とコンスタンス}}
 
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[[Category:アンティオキア公]]
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[[ar:ريموند الثاني أمير أنطاكية]]
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