「ロベール2世 (フランドル伯)」の版間の差分
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'''ロベール2世'''([[フランス語]]:'''<span lang="fr">Robert II</span>''', 1065年頃 - [[1111年]][[10月5日]])は、[[フランドル伯]](在位:[[1093年]] - [[1111年]])。[[第1回十字軍]]に参加し、「[[エルサレム]]のロベール」(
ロベール2世は[[ブロワ]]伯[[ティボー2世 (シャンパーニュ伯)|ティボー4世]]と争い、甥でもある主君のフランス王[[ルイ6世 (フランス王)|ルイ6世]]を援けたときの傷が元で、[[モー (フランス)|モー]]で死去した。ロベールは[[ブルゴーニュ伯]][[ギヨーム1世 (ブルゴーニュ伯)|ギヨーム1世]]の娘で[[教皇]][[カリストゥス2世 (ローマ教皇)|カリストゥス2世]]の姉妹であるクレマンティーヌと結婚しており、伯位はその息子[[ボードゥアン7世 (フランドル伯)|ボードゥアン7世]]が嗣いだ。
[[Category:フランドル伯]]
[[Category:フランドル家]]
[[Category:十字軍の人物]]
[[Category:11世紀生]]
[[Category:1111年没]]
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