「観戦武官」の版間の差分

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|accessdate=2009-01-22}}</ref>
<ref>安岡昭男. "[http://ci.nii.ac.jp/naid/40006056582/ 日露戦争と外国観戦武官]"</ref>。特にイギリスのサー・イアン・ハミルトン陸軍中将(後の[[第一次世界大戦]]で[[ガリポリの戦い]]で地中海遠征軍を指揮)、ペケナム海軍大佐(後に大将。[[朝日 (戦艦) |朝日]]に乗艦しての報告は[[フィッシャー|フィッシャー]]提督の目に留まり、[[ドレッドノート (戦艦)|ドレッドノート]]の設計に取り入れられた)、アメリカの[[アーサー・マッカーサー・ジュニア|マッカーサー]]陸軍少将(後に中将。[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]][[GHQ]]最高司令官の父)、ドイツの[[マックス・ホフマン|ホフマン]]陸軍大尉(第一次世界大戦では第8軍の参謀として[[タンネンベルクの戦い]]を勝利に導く)など後の歴史に影響を与えた軍人も多かった。
 
第一次世界大戦では、イギリスの巡洋戦艦[[クイーン・メリー (巡洋戦艦)|クイーン・メリー]]に乗艦して観戦していた[[下村忠助]]海軍中佐が[[ユトランド沖海戦]]で戦死している。
 
観戦武官制度は、第一次大戦後、自動車・航空機などの輸送手段の発達によって戦域が拡大し、1人の士官が戦闘を見ることが不可能になったため、自然に消滅した。