「ルドヴィーコ・スフォルツァ」の版間の差分

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[[1499年]]にルドヴィーコの後楯である[[神聖ローマ皇帝]]の[[ハプスブルク家]]が[[フランス王国]]と対決した。ルドヴィーコは[[神聖ローマ帝国]]につき、翌[[1500年]]にフランス軍はスフォルツァ城を包囲し、相互にスイス傭兵を率いていた。
 
しかし、[[1508年]]に、配下のスイス傭兵の裏切りのために、ルドヴィーコは窮地に追い込まれてしまい、一部のスイス傭兵の好意で、スイス傭兵に仮装して脱出を試みた。しかし、500クローネンの報酬に釣られた[[ウーリ州]]の傭兵隊長の[[ルドルフ・トゥールマン]]が密かにフランス軍に密告したため、ルドヴィーコはルドルフの手勢に捕らわれてフランス軍に引き渡され処刑されそのまま投獄・獄死した。これが名高い『[[ノヴァラの裏切り]]』であった。
 
== 関連項目 ==