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== 概要 ==
原話では、[[五戒]]の一つである『邪淫戒』のテストとして鈴を使い、弟子が全員アウトになった後で師匠の様子をみると、師匠が真っ先にアウトになっていたことが判明するというもの。
艶がかっていわゆる艶笑噺と呼ばれるものので一段格下に見られる傾向はあるが、なかなか面白い内容であり、[[川柳]]などにもこれを元ネタとしたものが登場した。
なお、大本は中国の[[明]]代に書かれた[[笑話本]]、「[[笑府]]」だと言われているが、笑府中にこの内容を扱った話はない。
艶笑噺というものの性質上、名だたる落語家による口演の録音・録画の記録などは少ないが、意外な知られるところで、は[[古今亭志ん生 (5代目)|5代目古今亭志ん生]]の1958年10月11日のもの録音が幾つか残されている。これ志ん生は、トリを務めた第六十七回三越高座や落語会などにおいて、主に事務方のも調整ミスなどにより当日ので、当時落語協会高座や会長である志ん生ほど複数の落語家の噺の傾向が落語会の被ってしかもトリで艶笑噺を演じるといまうのは異<ref>一例のことであったが、こを挙げれは三越落語会事務方のミスによりば、1人前に演じた『[[林家彦六|8代目林家正蔵禁酒番屋]]』『[[佐々木政談]]』『[[大工調べ]]』『[[鹿政談]]』と、[[武士]]や[[奉行]]の類が出てくる噺と傾向ばかりが被るやたら並んでしまう、といわゆった状況である。</ref>、落語業界では「ネタ出し物がつつく」という[[禁忌]]とされる状態になってしまったことから際などに、志ん生がその場の判断で噺を差し替えることを決めて、手持ちの噺の中からこれを選んで口演したこという事情があったる。録音内容は上述の通りの艶笑噺だが、志ん生のそれはカ自身もマクラリとした笑いで艶「放送などではあ絶対にやれどもいやらしさを感じさせないまさ」と観客に名人の良演で、脳溢血で倒れるよ予め断り前の天衣無縫と評された全盛期の志ん生の艶笑噺ということを鑑み入ればつつも、稀少なものと楽しそうに演じていえる。
== 脚注 ==
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== 出典・参考 ==
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