「国際地球観測年」の版間の差分

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国際地球観測年が提案された[[1951年]]、日本は独立を回復していなかった。日本はこれに参加し、国際的地位を認めてもらおうと考えた。当初、[[赤道]]観測を行う予定であったが、観測予定地の領有権を持つアメリカは、自国で観測を行うという理由で丁重にこれを断った。
 
そこで日本は[[南極]]観測を行うことにした。しかし、IGY南極分科会では、[[第二次世界大戦]]で日本に遺恨を持つ複数の国から強硬な反対を受けた。アメリカ、ソビエト連邦などの大国が日本支持に回り、最終的に参加が認められた。ノルウェーが国力不足を理由に南極観測を行わないと表明したため、当時ノルウェーが領有権を主張していた地域が日本に割り当てられた。日本は国際地球観測年に合わせて南極圏内の[[東オングル島]]に[[昭和基地]]を建設し、観測に協力した。昭和基地は、国際地球観測年終了とともに撤収する予定であったが、その後延長され、現在も観測が続いている。
 
日本は、12のすべての部門で協力を行った。