「有馬氏久」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
延享2年(1745年)、[[建部政周]](播磨国林田藩第4代藩主)の子・[[有馬光隆|光隆]]を養嗣子とし、正室所生の長女を娶せたが、[[寛延]]2年([[1749年]])に廃嫡している。養子縁組解消後、長女は[[黒田直亨]](上総久留里藩第2代藩主)に再嫁した。
 
光隆に代わり、寛延2年(1749年)に[[堀親蔵]](信濃飯田藩第6代藩主。正室の兄)の子・[[有馬氏恒|氏恒]]を養嗣子に迎えている。堀家と有馬家との関係は深く、正室所生の次女は外祖母・春台院([[堀親長津軽信政]](信濃飯田藩第7代藩主。の娘、堀正室の祖母・春台院の養女となっている(のちに倉橋内匠助久知の室となった)。
 
宝暦7年(1757年)に実子の有馬氏房が生まれている。氏房はのちに氏恒の養子として家督を継ぎ、第4代藩主となっている。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
*『[[寛政重修諸家譜]]』巻第四百七十