「ヤムナ文化」の版間の差分

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ヤムナ文化の起源は、[[ヴォルガ川]]中流域の[[クヴァリンスク文化]]と、[[ドニエプル川]]中流域の[[スレドニ・ストグ文化]]にあるとみられている。乗馬用の馬と、家族移動用の牛車とから、移動は大変容易であったと推測され、広大な地域にヤムナ文化が広まったのはこのためであると考えられている。ヤムナ文化の様式の墓地は、東方においてはウラル山脈の東麓でも発見されることから、[[アルタイ山脈]]や[[エニセイ川]]の地域に存在した[[アファナシェヴォ文化]]の由来がヤムナ文化やその周辺のヨーロッパ・ステップ地帯の諸文化にある可能性も否定できない。また西方においては、[[ルーマニア]]、[[ブルガリア]]、[[セルビア]]、[[ハンガリー]]にまたがる[[ドナウ川]]河口地域の一帯に広がっている。このように広大な範囲にまたがっていること、辺縁が常に大きく変動していること、馬や車といった生活文化様式から、ヤムナ文化こそインド・ヨーロッパ語族の初期の中核的文化のひとつであったという推測は広く認められている。インド・ヨーロッパ語族の起源を扱うとき、前提となっている時代や地理的範囲には人によって大きなばらつきがあるため、インド・ヨーロッパ語族の定義そのものについて議論がある。いちおう[[クルガン仮説]]の扱う時代や地理的範囲を基準とすると、ヤムナ文化は後期[[インド・ヨーロッパ祖語]]の時代の文化であると捉えられるため、この文化はヨーロッパを含むインド・ヨーロッパ語族の多くの文化の起源ではあるものの、インド・ヨーロッパ語族の全ての文化の起源とは言えないことになる。
 
クルガン仮説に否定的な研究者は、ヤムナ文化は[[インド・イラン語派]]の起源であると考えている。しかし、ヤムナ文化は西方では[[横穴墓文化]](英語:Catacomb culture)、東方では[[ポルタフカ文化]](英語:Poltavka culture)およびそれに次いで[[スルプナ文化]](英語:Srubna culture)に受け継がれ、これらの文化はおそらく東方の[[シンタシタ文化]]や[[アバシェヴォ文化]]などからの影響を強く受けながら西方の横穴墓文化に取って代わって、[[戦斧文化|縄目文土器文化]]や[[球状アンフォラ文化]]との接触地帯で、その地におけるこれら2つの文化の担い手に文化的・言語的影響を及ぼし、そのあたりで[[ベログルードフ文化]](英語:Belogrudov culture)が発生、いわゆる[[スキタイ#農耕スキタイ|農耕スキタイ]]の[[チェルノレス文化]]へと発展していく。このことは、本来は[[ケントゥム語]]で、かつ縄目文土器文化や球状アンフォラ文化を基層<ref>もともと[[球状アンフォラ文化]]は[[スラヴ]]・[[バルト]]・[[ゲルマン]]の3つの語派の、後期インド・ヨーロッパ祖語時代における基層文化であったと考えられる(J. P. Mallory, "Globular Amphora Culture", Encyclopedia of Indo-European Culture, Fitzroy Dearborn, 1997.)。この祖語は[[インド・ヨーロッパ祖語]]の北西方言で、現在でも3つの語派に共通する文法的特徴にその名残がみられる([[与格]]と[[奪格]]の[[複数形]]のほか、[[単数形]]と[[双数形]]のいくつかで、*-bh-でなく-m-を用いた[[語尾]]となる)。この祖語はこの記事で扱っている時代にはまだ共通祖語だった可能性があり、あるいは既にある程度それぞれに分化していた可能性もある。球状アンフォラ文化がその西隣と東隣にあった非インド・ヨーロッパ語族の文化圏に影響し、その結果[[中央ヨーロッパ]]から[[東ヨーロッパ]]にかけての広大な地域に[[戦斧文化|縄目文土器文化]]が形成されていく。</ref>としていたと推測される[[スラヴ語派]]や[[バルト語派]]の祖語<ref>[[スラヴ祖語]]と[[バルト祖語]]、ないし学説によっては[[バルト・スラヴ祖語]]。ただし後者であってもこの時代には既にスラヴ祖語とバルト祖語に分化していた可能性がある。</ref>が東方の[[インド・イラン語派]]の言語的影響を受けて[[サテム語派|サテム語へと変化]]していった経緯を示唆している。ここではヤムナ文化その他はインド・イラン語派の文化ではあるがその語派の起源ということではなく、[[中央アジア]]の[[ステップ]]地帯で政治的な力をつけたインド・イラン語派の担い手の集団が次々と西方へ進出して落ち着いた先である[[東ヨーロッパ]]のステップ地帯に広く発展したステップ文化であるということになる。ここではクルガン仮説の問題点とされていたものは解消され、球状アンフォラ文化とともにヤムナ文化が後期インド・ヨーロッパ祖語時代の、ヨーロッパにおける中核的文化<ref>おそらくヤムナ文化は[[イラン語派]]の系統の[[遊牧民]]が優勢な文化であったろうと推測される。</ref>であったという広く定着している認識に矛盾は生じない。
 
== 注釈 ==