「カミーユ・ドスタン (タラール公)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
[[File:Camille d'Hostun duc de Tallard.png|180px|thumb|タラール公カミーユ・ドスタン]]
'''タラール公カミーユ・ドスタン'''(Camille d'Hostun, duc de Tallard, [[1652年]][[2月14日]] - [[1728年]][[3月20日]])は、[[フランス王国|フランス]][[ブルボン朝]]の貴族、軍人。ロジェ・ドスタンの子として[[リヨン]]で生まれた。初め[[伯爵]]で、後に[[公爵]]に叙爵された。
 
== 生涯 ==
11行目:
1715年にルイ14世が亡くなり、遺言状で[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]を後見する諮問会議の一員に指名されていたが、摂政の[[オルレアン公]][[フィリップ2世 (オルレアン公)|フィリップ2世]]によって破棄され、実現せずに終わった。また、[[1724年]]から[[1726年]]まで[[科学アカデミー (フランス)|科学アカデミー]]の会長を務めた。
 
1728年、[[パリ]]で76歳で亡くなった。長男のフランソワはブレンハイムで[[戦死]]したため、次男のマリー・ジョゼフが家督を継承した。但し、タラール公位は1代限りだったため、マリー・ジョゼフは新設のホスタン公位に叙爵された。
 
== 参考文献 ==
19行目:
[[Category:フランスの軍人]]
[[Category:スペイン継承戦争]]
[[Category:フランスブルボン朝の人物]]
[[Category:リヨン出身の人物]]
[[Category:1652年生]]