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'''平野 龍一'''(ひらの りゅういち、[[1920年]][[9月29日]] - [[2004年]][[7月16日]])は、日本の[[法学者]]。[[東京大学]]名誉教授・元[[総長]]。専門は[[刑事法]]。[[博士 (法学)|法学博士]](東京大学、1962年)([[学位論文]]「刑事訴訟法」)。[[熊本県]][[熊本市]]出身。
 
== 人物 ==
平野は、師の[[小野清一郎]]が後期旧派の立場に立っていたことから、[[ドイツ]]の刑法学者[[ヴェルツェル]]の人的不法論を日本に紹介し、[[故意]]を主観的違法要素とする[[行為無価値]]論に賛成したこともあるが<ref>平野龍一「故意について」(法学協会雑誌67巻3号34頁、1949年)</ref>、後に改説して小野の学説を承継した[[団藤重光]]を徹底的に批判した。
 
平野の[[刑法学]]説の特徴は、刑法だけを考察の対象とし、そもそも犯罪の本質とは?という哲学的で抽象的な観念論から出発し、形式的な法違反を重視して、その違反者の道義的責任を問うという後期旧派の道義的応報刑論に対し、刑法のみならず民法その他の法律と同様に、刑法を社会統制の一手段とみて、[[刑事政策]]や他の隣接諸科学の成果を踏まえ、刑法の任務を実質的・機能的に考察するものといえる<ref>上掲『刑法総論I』のはしがき</ref>。
 
このような見地から、平野は、[[刑罰]]論において、前期旧派と新派の対立を止揚することを企図して、両派はリベラルで科学的である点で共通性があるとして、刑罰を科すことを予告することによって犯罪抑止を目的とする'''抑止刑論'''を展開した上で<ref>上掲『刑法総論I』11~12、21~29頁</ref>、[[犯罪]]論においては、[[瀧川幸辰]]が展開した前期旧派を基調に、[[違法]]論において、[[結果無価値]]論を採用して刑法の脱倫理化・客観化を推し進め<ref>上掲『刑法総論I』49~51頁</ref>、戦後の自由主義的な風潮の下多くの門弟を育て上げることで支持を広げた。
 
そして、平野は、かつての新派旧派の学説の対立は、それぞれの論者が形式的な体系性の追求を求めることによって無意味に争いが激化したもので形骸化しており、具体的に妥当な結論を導き問題を解決するのをかえって阻害していると批判して、これを「体系的思考から問題的思考へ」というスローガンで表し、刑法を実質的・機能的に考察し、その成果を刑事政策などの立法提言につなげることを可能にしたのである<ref>上掲『刑法総論I』のはしがき</ref>。
 
1956年に刑法全面改正作業が師の小野を会長とする刑法改正準備会で始められ、数次の改定を経て、その成果として改正刑法草案が発表されると、平野は、これを戦前の国家主義と応報刑論に基づくもので刑法の任務を国家的道義の維持と解し、積極的責任主義に陥る危険があると厳しく批判したため改正作業は頓挫した。
 
== 略歴 ==
=== 学歴 ===
* 旧制熊本中学(現[[熊本県立熊本高等学校]])
* [[第五高等学校 (旧制)|旧制第五高等学校]]
* 1942年 [[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]]法律学科卒業
 
=== 職歴 ===
* 1948年 東京大学法学部[[助教授]]
* 1957年 東京大学法学部[[教授]]
* 1969年 東京大学法学部長
* 1977年 東京大学学長特別補佐
* 1981年3月 定年退官
* 1981年4月 東京大学総長
* 1985年 東京大学名誉教授
* 1988年  [[日本学士院]]会員
 
=== 叙勲歴 ===
* 1993年 [[勲一等瑞宝章]]
* 『刑法の基礎』([[東京大学出版会]]、1966年)
* 『刑事訴訟法概説』(東京大学出版会、1968年)
* 『刑法総論I・II』(有斐閣、1972年、1975年)
* 『刑法概説』(東京大学出版会、1977年)
* 『刑法の機能的考察』(有斐閣、1984年)
[[Category:文化功労者]]
[[Category:東京大学の教員]]
[[Category:熊本出身の人物]]
[[Category:1920年生]]
[[Category:2004年没]]
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