「堺打刃物」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[戦国時代 (日本)|戦国室町時代]]の頃に[[南蛮貿易]]を通じて堺から国内に輸入された[[煙草]]を刻む煙草包丁が[[天正|天正年間]]ごろから堺周辺で生産されたことが始まりとされる。[[天文 (日本)|天文]]12年([[1543年]])にポルトガル人によって[[鉄砲]]を始めとして、煙草などの南蛮渡来品が国内に伝わる。当時の[[堺]]は、その後に国内でも生産される鉄砲の産地として[[織田信長]]をはじめとする権力者にも注目されるほど鉄工の技術力が高く、煙管用にたばこを細く糸状に刻む切れ味の鋭い刃物の技術は注目されてきた。
 
[[江戸時代]]には[[徳川幕府]]が品質の高さを認め、他の産地のものと区別するため、極印「堺極」を附して専売し、全国に普及する。江戸時代中期の元禄時代に[[出刃包丁]]などの包丁を堺の鍛冶職人が開発し、現在の包丁の種類がほぼ出そろう。