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[[Imageファイル:Svenska hillebarder (1500-talet), Nordisk familjebok.png|right|250px]]
'''戦斧'''(せんぷ、いくさおの)は武器・兵器として使用される斧。小型で[[投斧]]としても使われる片手斧と両手で扱う[[大斧]]に大別される。
 
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また、農民が持って居ても違和感がないため、しばしば仕込みや暗殺用として作られている物がある。日常の道具からより戦闘用に改良された戦斧は敵の鎧や盾も切断して身体を攻撃する為、力を一転に集中できるように刃が比較的丸く、中にはより頑丈な鎧や兜と頭蓋骨をも貫通しやすくする為に刃が狭い斧や刃が尖った斧、敵の首や手足、武器を引っ掛けやすいように髭の部分が長くなった斧、素早く振るえるように刃の幅を薄くするなど軽量化されている斧もあった。
 
== 戦史の中での戦斧 ==
* 青銅器時代、エジプトやメソポタミアでは槍と並んで刃の角度が急な青銅製の斧が白兵戦での主要な武器として使用されていた。
* 欧州中世の戦場のほとんどで見られる。[[ケルト人]]や[[ヴァイキング]]で知られる北欧の民が、好んで使用した。当時は鉄器鍛造技術が未熟で剣は高級品であり、一般人には斧のほうが手軽に持つことができた。このため[[テレマルク県]]のように北欧諸国では、紋章に戦斧が含まれている自治体も多い。イングランド王を[[ノルマンディー公]][[ギヨーム2世]]と争った[[ハロルド2世 (イングランド王)|ハロルド]]の護衛傭兵[[ハスカール|ハスカール]]は、主に斧で武装していた。スイス人傭兵が考案した槍や鉤と一体化した[[ハルバード]]は、歩兵が騎兵に対抗する手段として普及した。
* 中国では斧は「銅鉞」として[[殷]]の時代からあり、当初は歩兵の武器として使用されたが、[[チャリオット|戦車]]戦が発達すると実戦では用いられなくなり軍事権を誇示するためのものになった。再び実戦で戦斧が使われだすのは[[南宋]]の時代になってからだった。当時、[[金 (王朝)|金]]の重装騎兵に対抗するために威力の高い打物兵器が求められ、大斧が使われだした。金の完顔兀述は宋軍の優れた武器として神臂弓([[弩]]の一種)と共に大斧を挙げている。小説の世界では『[[説唐演技]]』の[[程知節|程咬金]]が大斧の使い手として描かれている<ref>『武器と防具 中国編』69頁</ref>。
* [[日本]]で戦斧が使われ出したのは[[南北朝時代 (日本)|南北朝期]]からのことであり、文献では『[[太平記]]』で[[長山遠江守]]が[[赤松氏範]]との[[一騎討ち]]で大鉞を使用している<ref>『騎兵と歩兵の中世史』129頁</ref>。基本的に、戦場で斧を使用するのは兵站の建設、あるいは城門の破壊のためだった。また、形状の良く似たものとして、[[修験者]]が霊峰入山の際に携帯する「入峰の斧<ref>奈良国立博物館 http://www.narahaku.go.jp/collection/p-659-0.html</ref>」がある。
* [[インディアン]]が白人との戦いの中で、独特の手斧「[[トマホーク]]」を使用した。現アメリカ軍の[[トマホーク (ミサイル)|トマホークミサイル]]の語源である。
 
== 代表的な戦斧 ==
* [[ハルバード]]
* [[フランキスカ]]
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* [[トマホーク]]
* [[ブージ (武器)|ブージ]]
 
==参考文献==
『騎兵と歩兵の中世史』 近藤好和:著 株式会社吉川弘文館 2005年
 
『武器と防具 中国編』 篠田耕一:著 株式会社紀元社 1992年
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 参考文献 ==
[[Category:武器|せんふ]]
* 『騎兵と歩兵の中世史』 近藤好和:著 株式会社吉川弘文館 20052005
* 『武器と防具 中国編』 篠田耕一:著 株式会社紀元社 19921992
 
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[[Category:斧]]
[[Category:武器|せんふ]]
 
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