「アナスタシオ・ソモサ・ガルシア」の版間の差分

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ニカラグアに帰国後、1926年に[[国家主義自由党 (ニカラグア)|国家主義自由党]](PLN)員になり、時の[[保守党 (ニカラグア)|保守党]]のディアス政権を武力で倒した功績で将軍の肩書きを授与された。モンカーダ大統領時代には外務次官の要職にもつき卓越した英語能力を遺憾なく発揮した。[[アウグスト・セサル・サンディーノ]]率いる[[ニカラグア国民主権防衛軍]]と[[アメリカ海兵隊]]との間の[[サンディーノ戦争]]が終わると、[[1933年]]、叔父にあたる[[自由党 (ニカラグア)|自由党]]のサカサが大統領に就任。ソモサは戦争中にアメリカ海兵隊によって育てられ、サンディーノ軍と戦った[[国家警備隊 (ニカラグア)|国家警備隊]]の長官に指名される。ソモサはモンカーダの友人でアメリカの支持も獲得していた。
 
[[1934年]]ソモサはアメリカ合衆国の内諾をえて、[[アウグスト・セサル・サンディーノ]]暗殺を決断し実行する<ref>{{cite web|url=http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1232.html |title=反米大陸 |publisher=松岡正剛の千夜一夜・遊蕩篇 |author=[[松岡正剛]] |date= |accessdate=2012-04-07 }}</ref>。国家警備隊は全国でサンディーノ支持者(サンディニスタ)狩りを開始し300名が虐殺された。サカサはソモサを強く非難するが、それ以上の対処は出来ず、ソモサは国家警備隊司令官に任命された。ファシスト団体「青シャツ団」はソモサのサンディーノ暗殺を賛美しながら各地で示威行動した。ソモサはこれを利用し[[戒厳令]]を公布してサンディーノの残党を妻子に至るまでつぎつぎと虐殺。これを批判するジャーナリストも誘拐、暗殺した。
 
こうしてソモサは国家警備隊の実力を背景に、半ば傀儡となっていたサカサを大統領から引きずり下ろし、1936年に自由党(PLN)から大統領選に出馬して圧勝(投票結果は10万対108票)、翌年に就任した。
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1950年、ソモサが、国会の選出を経て二度目の大統領に就任する。しかし、1956年に[[レオン (ニカラグア)|レオン]]の「労働者の家」で開かれたPLNの選挙キャンペーン集会で、ダンス中に暗殺のために潜入した27歳の詩人[[リゴベルト・ロペス]]に4発の銃弾を撃ちこまれた。リゴベルトはその場で射殺された。ソモサは、[[アメリカ軍]]の[[ヘリコプター]]で[[パナマ運河]]地帯のゴーガス病院に運ばれ、[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]合衆国大統領の差し回しの医師団により治療を受けるも死亡した。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==