「国府台城」の版間の差分

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[[扇谷上杉家]]の家臣であった[[太田道灌]]が[[1478年]]([[文明_(日本)|文明]]10年)12月の[[千葉氏]]内紛の際に[[千葉自胤]]を援けて[[下総国]]境根原(現在の[[千葉県]][[柏市]]酒井根付近)での合戦を前に、国府台の地に仮陣を築いたことに始まる。この際に城地として相応しいと見立て、翌年に[[臼井城]]の[[千葉孝胤]]を攻めた際、道灌の弟[[太田資忠]]らが、この地に城を築いたと記録に残る。
 
国府台城は要所であるが故に[[後北条氏]]、[[千葉氏]]と[[里見氏]]、[[太田氏]]、[[上杉氏]]らの度重なる勢力争いの舞台となっており、争奪戦が繰り返され([[国府台合戦]]の項参照)城もまた堅固な城郭として整備された。しかし、[[豊臣秀吉]]による[[小田原の役|小田原征伐]]後、後北条氏に代わって江戸に入府した[[徳川家康]]によって[[廃城]]にされた。江戸を見下ろす場所にあったからとも言われている。
 
== 現在の城 ==