「ジダーノフ批判」の版間の差分

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==音楽==
もともと形式上は、ヴァノ・ムラデリの[[オペラ]]「偉大なる友情」への批判が非難を目的としたものであった。しかしこのオペラは「前衛的」であったどころか、むしろ聴衆の間では大人気であった。そもそも非難の発端は、このオペラが[[カフカス]]地方を舞台として戦争を描いており、その描写に[[スターリン]]が激怒したことにあったとされる。ジダーノフがこの機をとらえに乗じて、[[社会主義リアリズム]]路線に反すると見なしうる、より抽象的で晦渋な作風の作曲家をまとめて糾弾するめに、それを実行するためにムラデリへ非難を仕掛けたこと現在、ジダーノフ批判解釈真相であった
 
後に、[[セルゲイ・プロコフィエフ]]、[[ニコライ・ミャスコフスキー]]、[[アラム・ハチャトゥリアン]]、[[ドミトリー・カバレフスキー]]ら、ソ連国内の多くの[[作曲家]]が批判の対象となった。しかし実際の攻撃対象は、なかでも[[ドミトリー・ショスタコーヴィチ]]で、その他は目くらましのために言及されたらしという可能性も指摘されて。この宣言は翌年4月に、ソ連作曲家連盟の特別会議において追認され、攻撃された側の多くは、自己批判を公にすることを余儀なくされた。
 
==文学==
ソ連文壇ではいち早く[[1946年]]に、諷刺作家[[ミハイル・ゾーシチェンコ|ミハイル・ゾーシェンコ]]と詩人[[アンナ・アフマートワ]]に対して同様の攻撃がなされた。
 
[[Category:ソビエト社会主義共和国連邦|したのふひはん]]