「インドシナ」の版間の差分

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[[第二次大戦]]中の1940年9月に、[[ビシー政権]]は[[日本]]のトンキンへの軍事アクセスの要求を認めた。これは直ちに[[日中戦争]]において[[蒋介石]]軍に対する日本に[[中国]]へのよりよいアクセスを与えた。それは日本の太平洋支配戦略の一部で、同盟国[[ドイツ]]が太平洋の[[オランダ]]およびフランス軍を破る際に大きな助けとなった。日本はインドシナ経営のためにフランスの官僚政治および首脳部を維持した。
 
1945年3月9日連合軍の堅固な支配下でのフランスでドイツ軍は退却し、太平洋においては[[アメリカ軍]]優勢下に、日本はインドシナを完全に管理することを決定した。[[原子爆弾]]が8月に[[広島]]と[[長崎]]に落とされた後無条件降伏するまで、日本はその力を維持した。
 
戦後フランスはインドシナの再度の支配を試みたが、[[ベトミン]]との戦闘に入った。第二次大戦中にアメリカは日本に対する抵抗の中でベトミンを支援した。フランスが1945年3月にきっかけを与えたので、ベトミンは都市とは別に地方をコントロールしていた。1945年9月2日に、[[ホー・チ・ミン]]は皇帝[[バオ・ダイ]]の退位を説得した後、大統領として[[ベトナム民主共和国]]の独立を宣言した。
 
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