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生物学において、異なった分類群間の比較は、きわめて基本的なものであるから、あらゆる場面で比較は行われる。発生学においても当然このような状況はある。しかし、特に'''比較発生学'''(comparative embryology)といえば、19世紀初頭から末までの発生学の流れを指すことが多い。発生学は、この時期に[[前成説]]・[[後成説]]の論争にいったんけりをつけ、[[細胞説]]の成立にも後押しされて詳細の観察と分析が可能となった。このことから意味のある比較が可能となり、それがこの発展を支えた。また、この前の世紀に[[比較解剖学]]が大きく発展し、それらを基盤に19世紀には進化論が成立し、それによって[[動物の系統]]分類学は大きく進展したことから、一面ではこれを受けて、それぞれの器官の発達過程に目を向けたために発展した分野でもある。
 
比較発生学は[[カール・フォン・ベー]]によって主張され、[[胚葉説]]や[[フォン・ベーの法則]]を生み出した。また比較解剖学と結びついて比較形態学とも呼ばれた。それらは進化論を支持する土台となり、さらにそれを土台にしてベーの法則を見直したのがヘッケルである。
 
19世紀末に生まれた[[実験発生学]]は比較発生学に対する批判として生まれ、これが発生学独自の課題を見いだす方向に進んだことで、比較発生学は発生生物学の主流の位置から離れた。しかし、現在もこの名は使われ、発生と系統関係を論じる際には重要な分野である。
 
== その始まり ==
発生学においても比較解剖学と同様に比較的方法が重要であると説いたのは、[[カール・フォン・ベー]]である。彼は「発生学の父」とも言われ、19世紀前半における最大の発生学者と言ってよい。彼はその主著『動物発生学』においてこのことを強く主張し、それによって動物の発生に関する一般原則が導き出せるとした。
 
{{注|ここで言う比較解剖学的な方法とは、その分野の中でも、特に[[比較解剖学#純形態学|純形態学]]、あるいは'''観念論的形態学'''といわれた流れを指す。そこでは、形態から機能を完全に切り離し、様々な動物の構造から基本的な原型を見いだし、多様な形態をそこからの変化と見なすことが行われ、[[相同性]]など重要な概念が提出された。ただし、成体の器官の相同性が、そもそもその根拠が明白でないことは大きな問題で、時に恣意的な判断になりやすくもあった。しかし発生的にこれをたどると意外にわかりやすい場合がある。ある意味では発生が相同性に裏付けを与えたともいえる。}}
 
彼は主として[[脊椎動物]]の発生を対象に研究を行った。その重要な業績としては胚葉説とベーの法則がある。これについては以下に個別にまとめるが、このような流れの中で、発生の過程を比較する研究は広く行われるようになり、1860年代にはすでに当時知られていたほぼすべての動物門において発生の研究に手がつけられている。
 
=== 胚葉説 ===
[[胚葉説]]は、発生の初期に、まず大まかな細胞層に区分されるとするもので、まず[[パンダー]](Christian Heinrich Pander 1794-1865)がニワトリの胚発生の研究からこれを想定した。ベーはこれを発展させ、発生の初期に胚にいくつかの細胞層が生じ、そこから各器官が作られること、また、分類群が異なっていても、胚葉の区分のされ方およびそれぞれの胚葉からどんな器官が出来るかは一定であるとした。彼はこれを脊椎動物の各綱について認めたが、ただし彼は胚葉の区分を現在の外・中・内の三つではなく、四つに区分していた。その後ラトケ(Martin Heinrich Rathke 1793-1860)はこれを[[無脊椎動物]]の各群にまで広げた。その後に細胞説の確立を受け、[[ローベルト・]](RhobertRobert Remak 1815-1865)はこれらを[[組織学]]的に見直して、改めて三胚葉の区分を行った。
 
== ベーアの法則 ==
このように比較発生学は興隆を極め、進化論と結びついて大きな流れを作った。しかしこれに批判的な動きも出始めていた。それはこのような研究が、進化や系統を明らかにする役に立ってはいるものの、発生そのものの仕組みはいっこうにわからないままではないか、と言うものである。当時、物理学や化学の進歩を受けた形で[[生理学]]が進歩し始めていたが、それは当然のように成体だけを対象としていた。しかしそのような研究対象は発生にもあるはずである。それを明らかにするのではなく、発生学が系統学の下請けになっている状況を問題視する動きでもある。
 
発生の仕組みをその機構の側から明らかにしよう、と言う動きも実際にあって、特に[[ヴィルヘルム・ヒス]](Wilhelm His 1831-1904)は発生の過程を生理学的に扱おうとした。彼はその著書(1874)で発生の過程で胚葉から様々な器官が生じる過程について、このような変形を胚葉の折りたたみで生ずるものと説き、おそらくそれは胚葉の各部分の成長速度の差によるとした。そして、折りたたみによって器官が生じるのであれば、その変形を逆にたどれば、平面上に将来それぞれの器官になるべき部分が配列した地図のようになるはずと考えた。これは後に[[フォークト]]によって[[予定胚域図]]の形で実現される。ヒスの説は抽象的な説明にすぎないが、この方向を追求すれば、発生の機構を胚の生理的性質によって説明することを求めることになる。このような方向性に賛同する学者は他にもおり、たとえばバルフォアはその著書『比較発生学概要』(1880-1881)の序論で発生学には比較発生学と生理学的発生学がある旨を記している。
 
ところが、当時の主流であったヘッケルはこのような見方に価値を認めず、ヒスの説も「つれづれの説」と皮肉ったという。彼自身は比較発生学は進化論という高邁な問題を扱っているのであって、個々の胚の内部の動きや仕組みなどは目先のつまらない問題であると思われたらしい。これに対してヒスは、ヘッケルの[[系統樹]]について、想像に頼るところが多く、科学としては根拠薄弱であると批判したと言われる。このころに動き始めた[[実験発生学]]の流れは、このような状況を背景にしていた。実験発生学は[[実験]]によって発生の機構を明らかにする方向でめざましい成果を上げ、発生学の主流になった。比較発生学は、少なくとも発生学の主流からははずれ、その名を聞くことは少なくなる。