「比較発生学」の版間の差分

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== 前史 ==
発生学に関する知識は、長い蓄積があるが、それほど体系立ったものになってはいなかった。前生説と後成説の議論が19世紀まで決着がつかなかったのは、一面では発生の基本的な意味が把握されていなかった、という点にある。つまり単細胞の状態から[[卵割]]を繰り返しながら構造が出来てゆく、という把握は細胞の意味がわからなければ成立しない。[[カスパル・ヴォルフ]]は18世紀末に後成説を現代的な意味で明確に示したが、当時は受け入れられなかったのもある程度やむを得ない。当時は[[種子]]や[[蛹]]も卵と同等と考えられていたから、それらを比べてもまっとうな結論が出るわけがないのである。
 
そういうわけで、細胞説の成立によって初めて発生学はその課題を明らかに捉えたと言ってもよい面がある。それが確定すれば後成説は当然のように認められた。こうして様々な動物の発生を比較できる土台が出来た上で、比較解剖学の観点を発生学に持ち込んだのが比較発生学であった。
 
=== 胚葉説 ===
[[胚葉説]]は、発生の初期に、まず大まかな細胞層に区分されるとするもので、まず[[クリスティアン・パンダー (動物学者)|クリスティアン・パンダー]](Christian Heinrich Pander 1794-1865)がニワトリの胚発生の研究からこれを想定した。ベールはこれを発展させ、発生の初期に胚にいくつかの細胞層が生じ、そこから各器官が作られること、また、分類群が異なっていても、胚葉の区分のされ方およびそれぞれの胚葉からどんな器官が出来るかは一定であるとした。彼はこれを脊椎動物の各綱について認めたが、ただし彼は胚葉の区分を現在の外・中・内の三つではなく、四つに区分していた。その後ラトケ(Martin Heinrich Rathke 1793-1860)はこれを[[無脊椎動物]]の各群にまで広げた。その後に細胞説の確立を受け、[[ローベルト・レーマク]](Robert Remak 1815-1865)はこれらを[[組織学]]的に見直して、改めて三胚葉の区分を行った。
 
== ベーの法則 ==
上記のように発生過程の研究からは器官の相同性に関わる重要な示唆が与えられた。成体に見られる器官がその群によって異なった形をしている場合も、発生の初期には似通った形であることは、相同性を認める重要な裏付けとなった。しかし、発生の早い段階には成体には存在しない器官が姿を見せることもある。すでにウォルフはほ乳類において前腎を発見していた。さらにラトケは1825年に鳥類とほ乳類において[[鰓裂]]と[[鰓弓]]を発見した。このように、より下等な動物の構造がより高等な動物の発生初期に見られる、という例が集まってきた。