「西出雲駅」の版間の差分

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== 駅構造 ==
島式1面2線の[[プラットホーム|ホーム]]を持ち、行き違い設備を有する[[地上駅]]。このほかにもう1つ着発線があるが回送列車待機用でプラットホームはない。線路は、東西方向直線に延びており、その南北から跨線橋でホームへと通じている。[[松江駅]]管理の[[無人駅]]で、跨線橋内部に[[自動券売機]]([[食券]]タイプの形式)が設置されている。駅舎はかつて北口側にあったが取り壊され、現在では南口側に待合室程度の駅舎が設けられている。
 
[[松江駅]]管理の[[無人駅]]で、跨線橋内部に[[自動券売機]]([[食券]]タイプの形式)が設置されている。駅舎はかつて北口側にあったが取り壊され、現在では南口側に待合室程度の駅舎が設けられている。
 
=== のりば ===
{| cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows" style="" class="wikitable"
|+ 西出雲駅プラットホーム
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| [[大田市駅|大田市]]・[[江津駅|江津]]方面
|}<!-- 上記の方面表記は駅掲示時刻表の表記に合わせた --->
 
北側のホームが1番のりばである。列車運転指令上では、北側から
*1番線(1番のりば)=上り本線
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== 利用状況 ==
1日平均の乗車人員は276人である(2009年度)<!---島根県統計書--->。2004年度は248人、1994年度は173人、1984年度は100人だった。<p>
近年の1日平均乗車人員は以下の通りである。<ref>出典:島根県統計書</ref>
* 193人(1999年度)
* 205人(2000年度)
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* 254人(2007年度)
* 259人(2008年度)
* 276人(2009年度)<!---出典:島根県統計書--->
 
== 歴史 ==
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** [[11月1日]] - 貨物取扱を廃止。
*[[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]により、西日本旅客鉄道の駅となる。
* [[1990年]]([[平成]]2年)[[3月10日]]:無人駅になる<ref>『JR気動車客車編成表』90年版 ジェー・アール・アール 1990年 ISBN 4-88283-111-2</ref>。
*[[1993年]](平成5年)[[3月18日]] - '''西出雲駅'''に改称。
*[[2008年]](平成20年)[[3月15日]] - 特急「[[まつかぜ (列車)|スーパーまつかぜ]]」の一部(1往復)が当駅に停車。快速「[[とっとりライナー]]」の当駅 - 出雲市駅間を廃止。
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== その他 ==
西出雲駅の客扱い列車は多くが気動車となっている。電車は上り当駅始発と下り当駅どまり数本の普通列車が客扱いす数本あるのみで、ほかすべて回送列車となっている<ref>ただし、電車の普通列車である電車の所属すべて後藤総合車両所出雲支所ではない(すべて[[岡山電車区]]所属の[[国鉄115系電車|115系電車]]である。</ref>。2006年3月18日のダイヤ改正で気動車列車の回送列車を客扱いで運行する列車が増発され、最終が日付を越えるようになった。
 
電車化されて以降の「[[やくも (列車)|やくも]]」の一部が当駅までの普通列車だったほか、1987年10月から1988年3月までの一時期、東京発出雲市行き寝台特急「出雲3号」は出雲市到着後、そのまま普通列車となって当駅(当時の駅名は「知井宮」)まで運転していた<ref>回送区間を客扱い化。方向幕は変わらなかった。また、B寝台のみ普通運賃で乗車できた。</ref>。昼行特急の末端区間を普通として運転する例はいくつかあるが、寝台特急の末端区間を普通として運転した例は他にない。上り列車は出雲市始発だった。その後、上下1便ずつながらも普通列車化されない形で優等列車が1往復停車するようになった。
 
かつては駅の南西側に工場があり、この工場からの貨物が当駅を通じて出ていたが、貨物取扱が廃止された後に工場もなくなり、その跡地は現在、住宅地となっているため、当時をしのぶことはできない。また、かつては線路の北側にのみ駅舎があり、南側は田園風景が広がっていた。その後、先述の工場廃止などを受けて地域再開発がなされ、次第に駅南側が現在のように整備されていった。