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'''フルリ語'''は[[紀元前2300年]]ごろから[[紀元前1000年]]ごろまで[[メソポタミア]]に暮らし、[[ミタンニ]]王国を築いた[[フルリ人]](英 Hurrian) の[[言語]]。
語族的に[[ウラルトゥ語]]と近くいと考えられるため、二つをまとめて[[フルリ・ウラルトゥ語族]]と呼ぶこともある。フルリ・ウラルトゥ語族が孤立的であるのか、それともいずれか他の語族と系統関係を持つのかは未だに明らかではないが、例えば[[北東コーカサス語族]](ナフ・ダゲスタン語族)との関係が議論されたがはっきりしていない。文法的な特色の中で最も興味深いのは、主語を示す格のあること、そして文が名詞系の鎖と動詞系の鎖による連繋構造を持っている、つまり[[シューメール]]語、トルコ語や日本語などと同様な agglutinating language である。
現在知られているフルリ語の資料の大半は人名や地名に限られておりだが、言語トルコの概要はよく分[[ボアズキョイ]]かっていない。ら出土した[[ヒッタイト]]語との[[ボアズキョバイ]]リンガルの粘土板によって、不完全ではあるが読解されている。また[[エジプト]]の[[アマルナ]]書簡等から発見された[[楔形文字]]文書によれば、人名・神名・馬術用語や社会用語には明らかに[[サンスクリット]]に近い単語が見られるが、これはフルリ人社会あるいはミタンニ王国における支配階級が[[インド語派]]の出自を持つためだと想像されの意見もある。しかし古代メソポタミアの言語の特徴として、多くの外来語を含んでいるテクストが一般的だったことを忘れる事はできない。
[[category:死語|ふるりこ]]
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