「京成電鉄」の版間の差分

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1960年前後には千葉・茨城県下の交通各社を系列下に収めるべく、1959年5月に[[常総筑波鉄道]]、11月には[[鹿島参宮鉄道]](以上2社は後の[[関東鉄道]])、1960年11月には[[銚子電気鉄道]]([[千葉交通]]の傘下に)の各鉄道や周辺バス会社を傘下に収めていった。同じ頃には兼業部門の拡充を再開。流通部門では[[京成百貨店]]の開業(1963年)や[[京成ストア]]の設立、不動産部門では[[オリエンタルランド]](1960年)や[[京成不動産]](1971年・不動産部の独立)、谷津遊園の拡充や[[京成ホテル]]の設立などが行われた。
 
=== 成田空港線開設乗り入れと経営危機から再建まで ===
[[1970年代]]に入ると、1969年の[[東京地下鉄東西線|営団(現:東京メトロ)東西線]][[西船橋駅|西船橋]]延伸や1972年の総武本線東京 - 津田沼間複々線([[総武快速線]])開業といった競合路線の新設や輸送力の増強によって旅客を奪われるようになり、交通事業での収益を上げることが難しくなっていった。このため、収益源を兼業部門に求める傾向がますます強くなり、特に沿線を離れた[[東北地方|東北]]・[[北海道]]での土地買収・開発を押し進めていった。具体的には、[[常磐急行交通]](1962年)での長距離バス進出(新橋 - 日立)、いわき貨物自動車(1962年系列化)・[[佐川急便|日本陸運(後の「みちのく急送」)]]に改称、1964年系列化)での陸送部門での関与、さらには[[南部縦貫鉄道]]へも資本参加している。