「封建主義」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
8行目:
 
;呉智英の見解
なお[[呉智英]]は、封建主義という語は、主に「[[進歩主義|進歩]]的」な立場から前[[近代]]的な[[権威主義]]、[[家父長主義]]的なシステムや風習を批判的に捉えた概念だ、と説明し、批判対象があたかも[[封建制]]時代のものであるかのような時代錯誤である、という意味合いが強く極めて[[スラング]]的な用語法である、と説明し{{要出典|date=2012年4月}}、直接的な封建制との関係を指摘する場合は殆ど無い、と説明した{{要出典|date=2012年4月}}。<!--批判的なレッテルであるため、このように評された者が自称するケースも同様に殆ど無い{{要出典|date=2012年4月}}--> また、日本において「封建」の語が広く用いられたのは当の封建制時代に終止符が打たれた[[明治維新]]後の[[文明開化]]の時期と、[[第二次世界大戦]]の敗戦に伴う被占領後に[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の指示による体制変更がなされた時期だと言う{{要出典|date=2012年4月}}。いずれも強大な[[権力]]によって全[[国民]]が[[社会]]・[[文化]]・[[日常生活]]・[[思考]]の根本的変更を指令された時期であり、旧来の[[権威]]、[[価値観]]を排除し、「進歩」へのほぼ「思考停止」的な「追従」を求める際に「封建」「封建的」という語が積極的に用いられた、と言う{{要出典|date=2012年4月}}。また[[明治]]の日本は[[朝鮮]]や[[清]]に対して(本来の学術的な意味での)「封建制」の放棄を強く求め、これが[[内政干渉]]や[[軍事]]進出、[[戦争]]の大義名分の一つとされた、と主張した{{要出典|date=2012年4月}}
 
== 関連項目 ==