「日本人」の版間の差分

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[[古墳時代]]、朝廷権力の拡大とともに「日本」という枠組みの原型が作られ、その後、文化的・政治的意味での日本民族が徐々に形作られていくとされる。もっとも、完全に同化されない少数集団は常に存在したし、現在もなお存在しているとも言える。
 
「日本人」「日本民族」という認識(ナショナル[[アイデンティティ]])が形成され浸透していく経緯については諸説あり、紀元前ヤマト王権の支配が広い地域及ぶ以前の[[弥生時代]]から[[倭人]]として一定の民族的形成統合されていあったとされる説、また少数派ではあるが[[律令制]]を導入し国家祭祀体制を確立させた[[7世紀]]後期の[[天武天皇|天武]]・[[持統天皇|持統]]期([[飛鳥時代]]後期)にその起源を置く説、[[13世紀]]の[[元寇]]([[鎌倉時代]]中期)が国内各層に「日本」「日本人」意識を浸透させていく契機となったとする見解などがある。
 
=== ネーションステート下の認識 ===