「愛宕山 (東京都港区)」の版間の差分

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愛宕山は、地形的にも自然形成によって成立したものであると[[地質学]]的にも立証されているが、周辺の低地との兼ね合いから形成のメカニズムが今ひとつはっきりしていない。
[[画像:Panorama of Edo.jpg|thumb|center|1000px|愛宕山から東を見るより撮影した江戸の[[パノラマ]](1865~66年頃、[[フェリックス・ベアト]]撮影)。愛宕山の東一帯は'''愛宕ノ下'''と呼ばれ、[[武家屋敷]]が広がっていた。幕末に[[フェリックス・ベアト]]によって撮影。奥の広い緑地が現在の[[浜離宮恩賜庭園]]で、その右には[[江戸湾]]を臨むことができた。[[本願寺築地別院|築地本願寺]]、[[台場]]なども見える。]]
 
== 出世の石段 ==