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[[Image:Queen Olga of Greece.jpg|200px|right|thumb|オルガ王妃]]
'''オリガ・コンスタンチノヴナ'''({{lang|ru|Ольга Константиновна}}, [[1851年]][[9月3日]] - [[1926年]][[6月18日]])は、[[ギリシャ王国|ギリシャ]][[ギリシャ国の一覧|王]][[ゲオルギオス1世 (ギリシャ王)|ゲオルギオス1世]]の王妃、[[ロシア大公女]]。[[ギリシャ語]]名:'''オルガ'''({{lang|el|Όλγα}} / Olga)。[[ロシア皇帝]][[ニコライ1世]]の次男[[コンスタンチン・ニコラエヴィチ|コンスタンチン大公]]と妃[[アレクサンドラ・イオシフォヴナ]]の長女として、[[パヴロフスク]]で生まれた。
 
== 生涯 ==
1863年、ゲオルギオスは自分をギリシャ王に推した[[アレクサンドル2世]]に感謝を伝えるため、ロシアを訪問。その時に12歳のオルガと会った。4年後、皇太子アレクサンドル(のちの[[アレクサンドル3世]])と結婚した実妹ダグマール(ロシア名[[マリア・フョードロヴナ (アレクサンドル3世皇后)|マリア・フョードロヴナ]])に会うため、再度訪問した。オルガは1867年10月にゲオルギオスと結婚した。彼女は[[東ローマ帝国|東ローマ]][[東ローマ帝国の皇帝一覧|皇帝]][[アレクシオス3世アンゲロス]](在位:1195年 - 1203年)と皇后[[エウフロシネ・ドゥーカイナ・カマテラ]]の子孫にあたる。
 
オルガは慈善活動に取り組む王妃として人気があった。彼女は、[[アテネ]]の下町にギリシャで最も規模の大きいといわれたエヴァンゲリスモス病院、[[ピレウス]]のロシア病院を寄付した。1898年、オルガは夫と娘が暗殺されかかった時期ですら、護衛なしに活動をした。
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