== 番組の終焉とその後 ==
1991年3月に『[[伊集院光のOh!デカナイト]]』([[ニッポン放送]])が始まると、リスナーの一部が、次第に「Oh!デカ」へと流れてしまった。1991年10月改編で、23時台の[[花王]]提供枠が廃枠になり、『Oh!デカ』と『[[岸谷五朗の東京RADIO CLUB]]』([[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]])の狭間で、[[聴取率]]の低下が目立つようになる。{{see also|MOONLIGHT 抱きしめて!!#概要}}
折から[[AMステレオ放送]]への移行を控えていた文化放送では、編成局が「(AMステレオ放送の特性を、最大限に発揮できる)音楽番組への路線変更を実施したい」(後番組「[[サスケの夜はこんびんば!]]」のこと事)と要望を出したため、AMステレオ放送開始を2週間後に控えた1992年2月27日をもって、終了となった。{{see also|AMステレオ放送#本放送開始}}
松尾は同番組の終了後、終了の経緯を回顧する形で、当時、[[週刊朝日]]に連載していた[[随筆|エッセイ]]「未確認卑怯物体」で記していた。なお、「未確認卑怯物体」は連載終了後、著書として発売された(現在は絶版。朝日新聞社 1992年発行。ISBN 4022564784)。
後継任には[[坂本洋]]が抜擢され、坂本は覆面パーソナリティ「サスケ」を名乗ってり、『夜はこんびんば!』を立ち上げるが、開始した。しかし『Oh!デカ』と『東京RADIO CLUB』の2強を止めることが事はできず、1年強で打ち切りとなる。
{{和暦|1993}}4月改編でスタートした『[[斉藤一美のとんカツワイド]]』で、『Oh!デカ』パーソナリティ[[伊集院光]]と、スタッフとの確執による打ち切りという、いわば「敵失」にも助けられてる形で、文化放送は『[[吉田照美のてるてるワイド]]』以来となる、時間帯聴取率トップを奪回還した。{{main|サスケの夜はこんびんば!#1年での打ち切りとその後|伊集院光のOh!デカナイト#突然の番組終了とその後}}{{see also|斉藤一美のとんカツワイド#番組の終焉とその後}}
'''当番組終了後の文化放送平日夜ワイド番組の系譜は…'''
== 野球放送との兼ね合い ==
前年の『ラジオバカナリヤ』では、文化放送の平日夜ワイド史上、初めてとなるの放送開始時間の繰り下げによる『[[文化放送ライオンズナイター]]』の延長が実現した。ただ、『バカナリヤ』は21時40分のスタートを最大でも、10分しか動かすこと事ができなかった。{{see also|今夜もBREAK OUT ラジオバカナリヤ#タイムテーブル}}
『夜マゲドン』では、『バカナリヤ』でネックとなった、22時台前半の[[フロート番組|内包番組]]を22時15分頃からにずらすこと事で、野球放送の延長枠をより大きくしようとしたが、後続の内包番組枠のスポンサーとの調整に手間取ったこと(特に、23時台の花王提供枠は30分という、非常に大きな箱枠だった)、また当時は[[日本プロ野球|プロ野球]][[パシフィック・リーグ]]の試合時間が延長12回以内かつ。試合開始後、4時間を超えて、新たなイニングに入らないというルールだったため、22時までに大概の試合終了の目途が立ったという理由で、前年比で10分拡大した22時で野球中継を打ち切ってり、当番組へと切り替えていた。{{main|今夜もBREAK OUT ラジオバカナリヤ#野球放送との兼ね合い|パシフィック・リーグ#時間・回数制限}}
当番組放送途中の1991年10月改編で、23時台の花王枠が廃枠となり、編成に余裕ができたこと事で、文化放送は22時以降の野球放送延長が可能となり、後継の『夜はこんびんば!』から実行に移す施した。これによってり『ライオンズナイター』は開始11シーズン目で、試合開始から終了までの完全中継という悲願を達成した。{{main|サスケの夜はこんびんば!#野球放送への対応|文化放送ライオンズナイター#放送時間}}{{see also|大学受験ラジオ講座#文化放送での野球放送への影響}}
{{前後番組|
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