「金剛山 (金剛山地)」の版間の差分

「葛城山」の呼称
(「葛城山」の呼称)
== 楠木正成との関係 ==
金剛山周辺には[[太平記]]の英雄[[楠木正成]]の城であった[[千早城]]、[[上赤坂城]]、[[下赤坂城]]の城跡や楠公誕生地など、正成ゆかりの史跡が点在している。楠木正成の[[菩提寺]]であった[[観心寺]]には、正成が少年期に学問を修めた記録が残っている。また古来より金剛山[[鎮守]]と称された、[[建水分神社]]は[[楠木氏]]の[[氏神]]であり、[[本殿]]([[重要文化財]])は正成が再建したもので、[[境内]]にある[[摂社]]の南木神社は正成を祀る最古の[[神社]]である。
 
== 「葛城山」の呼称 ==
 
「'''葛城山'''」の呼称は、歴史的には南北に連なる金剛山と葛城山([[大和葛城山]])との総称として用いられた。その第一峰を高天山と称し(『大和名所図会』)、金剛山の別称は金剛砂を産出したことによる(『大和志料』)とも、また金剛山転法輪寺の山号にちなむともいわれる<ref>[[角川書店]]『[[角川日本地名大辞典]] 29 奈良県』</ref>。
 
[[正嘉]]元年([[1257年]])の『[[私聚百因縁集]]』には「葛木山ハ即チ金剛山ナリ」とある。また[[貝原益軒]]の『南遊紀行』では現在の葛城山をさして「葛城(金剛山)の北にある大山をかい那が嶽といふ、河内にては篠峰と号す、篠峰を葛木といふはあやまりなり、葛城は金剛の峰なり」とある。また[[本居宣長]]の『菅笠日記』には「古は二つ(金剛山と葛城山)ながらを葛城山にてありけんを金剛山とは寺(金剛山転法輪寺)たててのちにぞつけられん」とみえる<ref>[[平凡社]]『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』</ref>。
 
また貝原益軒の『和州巡覧記』では葛城山について「篠峰の南にあり。篠峰より猶高き大山也。是金剛山也。山上に葛城の神社あり。山上より一町西の方に金剛山の寺あり。転法輪寺と云。六坊有。山上は大和なり。寺は河内に属せり。婦人は此山による事をゆるさず……此山に登れば、大和、河内、摂津、其外諸国眼下に見ゆ」と記載されており<ref>[[角川書店]]『[[角川日本地名大辞典]] 29 奈良県』</ref>、明らかに金剛山をさした記載となっている。
 
== 登山回数 ==
9,247

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