「竹内まりや」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
テキストの大量消去はやめなさい 差し戻し
タグ: サイズの大幅な増減
30行目:
竹内まりやの結婚前の作品は、山下達郎をはじめ、[[加藤和彦]]、[[細野晴臣]]、[[告井延隆]]([[センチメンタル・シティ・ロマンス]])、[[大貫妙子]]、[[林哲司]]、[[伊藤銀次]]、[[杉真理]]、[[安部恭弘]]、[[浜田金吾]](濱田金吾)といった作家が提供している。
 
[[1981年]]、彼女のルックスによるアイドル的な活動へのオファーと自身の希望する活動とのギャップから一時休業を宣言。その後[[1982年]]に山下達郎と結婚。同時に専業作詞作曲家として活動を開始し、[[河合奈保子]]の『けんかをやめて』などのヒットを放つ。しかし1982年、山下がRVCから独立したの担当ディレクター[[小杉理宇造]]と共に設が[[BMG JAPAN|RVC]]から独立し[[MOON RECORDS|アルファ・ムーン]]を設立。山下も'役員兼・所属ミュージシャン'として移籍したことから「記念に一枚」のつもりで、[[1984年]]にシングル『もう一度』、そして全曲を彼女自身が作詞・作曲したアルバム『VARIETY』をリリース<ref>ちなみにこのアルバムの構想段階では、以前のように外部作家を起用して制作する予定であったが、休業中に彼女が書きためたオリジナル曲のクオリティの高さに山下達郎が大いに驚き、結果、全曲を自作曲のアルバムとしてリリースすることとなった。</ref>し、最終的には30万枚以上の大ヒットになった。
 
その後は育児との両立が難しいこともあり、ライブ活動からは退いたものの、[[アレンジャー]]・[[プロデューサー]]を務める夫のサポートを受けながら、シンガーソングライターとして活動を続け、3年間のロングセールスを記録したアルバム『REQUEST』([[1987年]])や、シングル『[[AFTER YEARS/駅|駅]]』(1987年)、シングル『[[シングル・アゲイン]]』([[1989年]])、シングル『[[告白 (竹内まりやの曲)|告白]]』([[1990年]])、シングル『[[家に帰ろう (マイ・スイート・ホーム)|家(うち)に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)]]』([[1992年]])などのヒット作をリリース。1992年にはアルバム『[[Quiet Life]]』が発売と同時にミリオン・セラーとなり、[[1994年]]のベストアルバム『[[Impressions]]』は売り上げ300万枚を超える大ヒットを記録。