「ガンデンポタン」の版間の差分

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同年[[4月29日]]、[[インド北部]]の丘陵地[[ムスーリー]]で新たに行政機構が再組織され、チベット亡命政府(中央チベット行政府 Central Tibetan Administration(CTA)が発足した。[[1960年]][[5月]]、亡命政府は[[ダラムサラ]]のガンジョン・キショッと呼ばれる地域に拠点を移した。
 
=== 組織の変遷 ===
==== カシャク制(1751年 - 1959年)時期 ====
 
毛里和子は、この時期の地方行政制度を指して、
<i>当時チベットはひとつでなかった。ダライラマ、チベット地方政府の管轄下にある中央チベット、ダライラマとの関係で中央チベットを追われていたパンチェン・ラマが管轄するシガツェ地区、そしてチャムド地区行政長官であるアボ・アワン・ジグメの勢力が強いカム地域の三つに分断されていた。</i>
と述べている{{Sfn|毛里和子|1998|p=257}}。
 
== チベット亡命政府の基本法規 ==