「末弘厳太郎」の版間の差分

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また、末弘は、「法律」と「生きた法」に乖離があるとし、国家の制定した法律に対立せざるを得ない現実の労働問題を直視して従来[[商法]]の一分野とされていた労働法の研究を進めて日本で最初の労働法の講義を行っただけでなく、欧米と異なる日本独自の「法」の現実を知るためには、日本古来の農村を調査してその慣習を知る必要があるとして法社会学の基礎を築いた<ref>上掲『農村法律問題』</ref>。
 
以上のように、末弘は余人の追随を許さない変幻自在の思考の持ち主であったが、後進の研究者からは末弘理論を純化承継できる人物は遂に現われなかった。遺稿は、孤独が自分の性分であるであった<ref>[[和仁陽]]「末弘厳太郎」(法学教室178号72頁)</ref>。
 
== 親族 ==