「浪乃花教天」の版間の差分

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[[1996年]]3月場所での[[魁皇博之|魁皇戦]]に於いて左肘を痛め、この負傷が致命傷となって同場所から6場所連続負け越し。これにより、1997年3月場所では幕下にまで陥落してしまった。そして、同場所初日の取組を最後に27歳の若さで引退。[[年寄名跡]]を取得できなかったため、引退後、直ちに[[日本相撲協会]]から去った。
 
その後料理店を経営し、現在は東京都[[港区 (東京都)|港区]][[西麻布]](最寄駅は[[乃木坂]])で、ちゃんこ鍋料理の店「天海地 [http://sumo.goo.ne.jp/ozumo_joho_kyoku/taberu/016.html]」を経営している。またその一方で、[[J Sports ESPN]]『[[劇戦!大相撲]]』の解説者も務めている。尚、「天海地」の店名は現役時代「工藤」の本名から「天下一」を捩って、自身で考えていた四股名だったが、師匠に申し出る前に「浪ノ花」への改名届が出たと言うエピソードがある。その他、現役後半の「浪之花教隆」は現役時代、仲の良かった同門の幕下力士で廃業後に早世した親友の名前を盛り込んだものだと言う
 
元横綱・初代若乃花の二子山親方が育てた最後の幕内力士で、師匠交代後に三役昇進を果たしたが、同部屋からの最初の関取は二子岳、最後の関取は浪之花(当時・浪乃花)で奇しくも、共に最高位は小結である。