「カール・ルートヴィヒ・ブルーム」の版間の差分

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[[ブルンズヴィック]](Brunswick)で商人の息子に生まれた。[[ライデン大学]]で学んだ。植物学者のSebald Justinus Brugmansの弟子となり、1818年にインドネシアの[[バタヴィア]]([[ジャカルタ]])に博物学者として派遣された。1827年まで、[[スンダ列島]]に住み、植物採集を続けた。1823年から1826年の間はボゴールの[[植物園]]の栽培部長代理を務めた。オランダに戻る時には、3,000種の植物標本を持ち帰った。帰国後、[[ナイト]]の称号を受けた。
 
ライデン大学の自然史の[[教授]]に任じられ、[[オランダ国立植物標本館|王立植物標本館]](Rijksherbarium)の館長を務めた。著書には1858年のder Collection des Orchidées les plus remarquables de l'archipel Indien et du Japon(『ランとインドネシアおよび日本の稀少植物』:仮訳)などがある。
 
==著書==