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'''寛遍'''(かんぺん、[[康和]]2年([[1100年]]) - [[仁安]]元年([[1166年]]))は、[[平安時代]]後期の[[真言宗]]の[[僧]]。父は大納言[[源師忠]]。尊勝院大僧正・忍辱山大僧正とも称される。
 
[[山城国]][[円教寺]]の[[寛蓮]]に師事して[[出家]]し、[[寛助]]に[[灌頂]]を受けた。その後[[大和国]]忍辱山[[円成寺 (奈良)|円成寺]]を再興し、一字金輪法を日課とした。[[広隆寺]][[別当]]・[[東寺]]長者・東寺法務・[[東大寺]]別当・[[仁和寺]]別当・円教寺別当を歴任し、[[1161年]]([[応保]]元年)[[大僧正]]に至った。この間には、[[高野山]]大塔落慶供養の導師をつとめ、また、[[尊寿院]]を建立し、[[鳥羽天皇]]の皇后美福門院([[藤原得子]])が寄進した「御手印縁起」を尊寿院におさめた。事相にすぐれ、その後忍辱山流の祖とされる。
 
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