「セールスマンの死」の版間の差分

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== 概説 ==
競争社会の問題、親子の断絶、家庭の崩壊、若者の挫折感など、第2次世界大戦後に顕著になりだしたアメリカ社会の影の部分を鋭くえぐっており、初演前の[[フィラデルフィア]]におけ試演では、観客が涙を流して拍手もできなかった。二幕構成で、一幕目が主人公の帰宅した月曜日の夜、二幕目が主人公が自殺した火曜日の夜と葬儀からなる。いたるところに映画のフラッシュバックを応用した手法が取られ、主人公の過去の栄光や息子との不和のプロセスがわかりやすく表現されている。
 
初演時は大好評で、1950年11月18日まで742回のロングランを続け、前作『みんなわが子』で新進の劇作家として注目されていたミラーは、この作で不動の名声を手に入れた。特に主演のリー・J・コップにとって、ウイリー・ローマン役は最高の当たり役となった。
 
その後、1975年の[[ジョージ・C・スコット]]、1984年の[[ダスティン・ホフマン]]、1999年の[[ブライアン・デネヒー]]などの優によって再演され、その都度高い評価を受けた。日本では1954年の滝沢修以降、[[久米明]]、[[仲代達矢]]などが舞台を演じた。
 
仲代は自ら主宰する[[無名塾]]での自主上演を企画したが、ミラーの上演の許可を得ることができず単身渡米してミラーと掛け合った。ミラーは仲代が尊敬する[[黒澤明]]監督の映画に主演したことを知り、許可したという。