「大慈寺 (栃木市)」の版間の差分

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創建の正確な時期は不明ながら、隣接する[[村檜神社]]境内からは奈良時代にさかのぼる古瓦が出土しており、この地に古代から寺院が存在し、東国における天台系仏教の拠点となっていたことは確かである。
 
寺伝によれば、大慈寺は天平9年(737年)に行基が開基した寺院で、二祖は[[道忠]]、三祖は[[広智]]とされる。道忠は[[鑑真]]の高弟で[[最澄]]とも親交があった僧であり、東国の化主と称された。広智のときに、大慈寺で修行していた[[円仁]](慈覚大師、後の第三代天台座主)、[[安慧 (天台宗)|安慧]](後の第四代天台座主)などを最澄のもとへ弟子入りさせ天台教学を学ばせている。弘仁8年(817年)、最澄(伝教大師)が弟子たちとともに東国を巡錫した際、当寺にて大乗戒の授与を行い、東国への天台布教の足場とした。また、法華経による国家鎮護のため、最澄が日本国内の6箇所に建立を計画した六所宝塔の1つが当寺に建てられた。
 
当寺には[[小野小町]]に関わる伝説もある。伝説によれば、小町は大慈寺の本尊薬師如来に病気平癒の祈願をし、その結果治癒したため、終世大慈寺所在の小野寺の地に住んだとされる。境内に小町の碑があり、近隣には小野小町の墓と称するものも現存する。