「アイ (第18王朝のファラオ)」の版間の差分

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紀元前1323年頃(または紀元前1320年頃)没した。子はなかったため、彼は同郷の貴族で軍司令官の[[ナクトミン]]([[:w:Nakhtmin|Nakhtmin]])を後継者に指名していたが、王女ムトノメジットと結婚していた将軍[[ホルエムヘブ]]がナクトミンを打倒して王位を継承した。その後彼は[[アクエンアテン]]以降四代の王の存在を抹殺したため、アイの名も抹消されることとなった。これは、アイによりホルエムヘブが一時失脚したことへの報復のためと考えられる。[[王家の谷]]の[[:w:KV23|KV23]]に埋葬されている。
[[File:KV23WV23 by Mutnedjmet.jpg|thumb|王家の谷にあるアイの墓(KV23)の壁画]]
== 治績 ==
即位時すでに高齢であり、治世が短かったため、これといった治績はない。ツタンカーメン時代にアメン信仰を復活させたのは彼の功績であるとされる。