「浜通り」の版間の差分

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== 概要 ==
[[古代]]には、当時の[[日本]]の中心地だった[[畿内]]から[[陸奥国]]に通じる道として「海道」が当地を貫き、これが[[律令制]]以後に[[東海道#道路|東海道]]と呼ばれた。「海道」がその道沿いにある[[地方]]名としても用いられたのに対し、東海道は[[多賀城]]までの道の名前としては使われたが、地方名としては[[常陸国]]を北限とし、当地は[[東山道#行政区画|東山道]]に含まれた。[[中世]]にはとりわけ当地のみを指して'''海道'''と呼ぶ例も見られる{{要出典|date=2010年12月}}。現在では、これらの古代からの道と似た経路で、[[東京都|東京]]を始点として[[国道6号]]、[[常磐線]]、[[常磐自動車道]]が、幹線として南北を縦断している。なお、中通りとの連絡線として、[[いわき市]]から[[磐越東線]]、[[国道49号]]、[[磐越自動車道]]が通る
 
現在では、これらの律令時代からの道と似た経路で、[[東京都|東京]]を始点として[[国道6号]]、[[常磐線]]、[[常磐自動車道]]が、幹線として南北を縦断している。なお、[[中通り]]との連絡線として、[[いわき市]]の[[平 (いわき市)|平]]から[[磐越東線]]、[[国道49号]]、[[磐越自動車道]]が通る。
浜通りの中心地は[[大熊町]]と[[富岡町]]の間であるが、高速道路の常磐自動車道は[[常磐富岡IC]]までしか開通しておらず、北部の旧[[相馬藩]]領の市町村に比べて、いわき市の[[平 (いわき市)|平]]が南部の政治の中心地として長く、東京に近く人口・流通も多いため発展している。南の「いわき市」と北の「旧[[相馬藩]]領の市町村・[[双葉郡]]の町村」を分ける場合がある。この場合のエリア名は、南部を'''いわき'''、北部を'''相双'''と呼ばれている。福島県東部は[[戊辰戦争]]終結後に[[陸奥国]]から分立して[[磐城国]]と名付けられた。これには[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[白河氏]]の治めた[[白河郡]]や[[伊達氏]]の治めた[[宮城県]]南部の地域も含まれている。
 
又、[[夜ノ森駅|夜ノ森]]を境にして、南('''[[岩城氏]]領・[[磐城平藩]]領''')と北('''[[相馬氏]]領・[[相馬藩]]領''')に分ける場合もある。なお、福島県庁によるエリア区分では、南の'''いわき'''(いわき市)と北の'''相双'''([[相馬氏]]領、岩城氏領のうち旧[[楢葉郡]])に分ける場合もある。福島県東部は、[[戊辰戦争]]の結果、[[陸奥国]]が分割されて[[磐城国]]と命名された。この磐城国には、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[白河氏]]が治めた[[白河郡]]や、[[伊達氏]]が治めた[[宮城県]][[亘理郡]]の地域も含まれている。
[[福島第一原子力発電所]]([[大熊町|大熊]])など、[[原子力発電所]]が多く立地するため、「原発銀座」とも呼ばれている。[[広野町|広野]]には、[[サッカー]]のナショナルトレーニングセンターである[[Jヴィレッジ]]がある。
 
[[福島第一原子力発電所]]([[大熊町|大熊]])など、多数の原子炉を持つ<!--福島第一が原子炉6基、福島第二が原子炉4基-->[[原子力発電所]]が多く立地するため、「原発銀座」とも呼ばれている。[[広野町|広野]]には、[[サッカー]]のナショナルトレーニングセンターである[[Jヴィレッジ]]がある。
 
== 地理 ==
== 歴史 ==
=== 古代 ===
古代の浜通りは、[[石城国造]]の領土だったと言われている。しかし、[[律令制]]で[[中央集権]]国家が形成されると、現在の[[国道6号#トンネル|平潟トンネル]]付近に[[勿来]]関(当初の名称は菊多関)が設置された。浜通りには[[石城国]]が設置されるも、数年で[[陸奥国]]に編入された。
 
=== 岩城氏と相馬氏による統治 ===
=== 平安開府から明治維新まで ===
[[平安時代]]後期になると、[[平泉町|平泉]]に縁を持つ[[岩城氏]]が、[[平 (いわき市)|飯野平]]を本拠地として、[[白水阿弥陀堂]]を建てて浜通り南部(旧[[石城国]]の[[菊多郡]]・[[磐前郡]]・[[楢葉郡]])を領土に収めた。
 
[[鎌倉時代]]になると、現在の[[千葉県]][[流山市|流山]]から、[[相馬氏]]が浜通り北部に転入し、旧[[石城国]]の[[宇多郡]]・[[行方郡 (磐城国)|行方郡]]・[[標葉郡]]を領土に収めた。
[[関ヶ原の戦い]]で西軍に就いた岩城氏は、飯野平から追放され、[[由利本荘市|由利本荘]]に飛ばされた。代わって、浜通り南部は[[磐城平藩]]の領土となったが、[[鳥居氏]]や[[安藤氏]]など藩主は何度か入れ替わった。一方の浜通り北部は、相馬氏と伊達氏との折衝の結果、相馬氏は領土の安堵を許され、引き続き相馬氏が治める[[相馬藩]]の領地となった。[[大堀相馬焼]]などの特産品は、この[[江戸時代]]に始まったものである。
 
=== 明治維新以後エネルギー源地帯 ===
[[明治維新]]に伴う[[廃藩置県戊辰戦争]]よっての結果、磐城平藩と相馬藩と[[棚倉藩]]の領地、それに仙台藩のうち[[亘理郡]]が合併させられ、[[磐城国]]に改編された。そして、[[1871年]]の[[廃藩置県]]によって、浜通りは[[磐前県]]に改編された。しかし、[[1876年]][[8月21日]]には、磐前県は、[[福島県]]([[中通り]])や[[若松県]]([[会津]]地方)と合併させられ、福島県の一部とされた。
 
[[殖産興業]]期から[[高度経済成長]]期までは、[[久慈川]]と夜ノ森の間(即ち[[茨城県]]北部から浜通り南部までの一帯は、[[日立市]]を本拠地とする[[久原房之助]]が創業した、[[常磐炭田]]の炭鉱町が点在した。また、高度経済成長期には常磐炭田の[[小名浜石炭]]を[[東京都|東京]]に輸送する手段として、[[臨海工業地域常磐線]]が形成敷設された。
 
高度経済成長を契機なると、常磐炭田閉鎖された後は現在浜通り「炭鉱地帯」から「電源地帯」に転換され、[[原子力発電所]]や[[火力発電所]]が多く立地し、電源地域として存在感を見せている数建設されたまた、[[Jヴィレッジ小名浜]]の[[臨海工業地域]]や[[スパリゾートハワイアンズ2011年]]に代表されるように、爆発した[[福島第一原子力発電所の特例財源や]]([[1967年]]着工)は温暖な気候を背景この高度経済成長期着工て、地域の活性化が進められていた施設である。
 
「電源地帯」に変わった後の浜通りは、[[Jヴィレッジ]]や[[スパリゾートハワイアンズ]]に象徴されるように、発電所の特例財源や、温暖な気候を背景にして、地域の活性化が進められた。
[[2011年]][[3月11日]]に発生した[[東北地方太平洋沖地震]](最大震度7)では、浜通りの大部分の地域で震度6強を観測し、沿岸は[[大津波]]に襲われ、大震動によるインフラや建造物の倒壊も相次いだ。この地震に伴って、[[福島第一原子力発電所事故]]が発生した。
 
[[2011年]][[3月11日]]に発生した[[東北地方太平洋沖地震]](最大震度7)(14:46[[女川町|女川]]沖[[マグニチュード|M]]9、15:15[[鹿嶋市|鹿嶋]]沖M7)では、浜通りの大部分の地域で震度6強を観測し、沿岸は[[大津波]]に襲われ、大震動によるインフラや建造物の倒壊も相次いだ。この地震に伴って、誘発された[[福島第一原子力発電所事故|福島第一原子力発電所の爆発事故]]は、全世界に衝撃を与えた。福島第一原子力生し電所から20km圏内は、2012年4月現在でも住民が退去させられままである
 
== 地域 ==
=== 南北間の違い ===
浜通りの歴史的風土は、[[夜ノ森駅|夜ノ森]]を境にして異なる。「夜ノ森」という地名の由来は、[[岩城氏]]と[[相馬氏]]が領有権を争って「余(=我)の森」を主張し、その境界線となったことに由来すると言われている。また同様の由来から、[[富岡町|富岡]]には「小良ヶ浜」(おらがはま)、[[大熊町|大熊]]には「小良浜」(おらはま)という地名も存在する。
 
; 夜ノ森以南([[勿来]]から[[富岡町|富岡]]まで)
* [[平安時代]]中葉から戦国時代までは[[岩城氏]]の領土で、江戸時代には[[磐城平藩]]の領土であった。
* 岩城氏との縁由来する因んだ寺院として、平郊外に[[白水阿弥陀堂]]がある。
* 南の中心地は岩城氏の本拠地であった。磐城平藩の藩主は岩城氏から変わったが、いずれも[[平 (いわき市)|平]]を本拠地としていた。岩城氏の時代から平であるため、現在はひとつの自治体を形成し、行政を行っている。
* 岩城氏との縁に由来する寺院として、平郊外に[[白水阿弥陀堂]]がある。
* [[殖産興業]]期から[[高度経済成長]]期まで、[[常磐炭田]]が存在した。
 
; 夜ノ森以北([[大熊町|大熊]]から[[相馬市|相馬]]まで)
* [[鎌倉時代]]から[[明治維新]]までの630年以上に渡って、[[相馬氏]]が治めた土地であった。江戸時代には[[相馬藩]]の領土であった。
* 相馬氏に因んだ郷土芸能として[[相馬野馬追]]が、特産品として[[大堀相馬焼]]が有名である。相馬野馬追には公務として相馬市長・南相馬市長などが参加している。
* 北の中心地は相馬氏の本拠地で[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[行方郡]]([[小高町]])であったが、江戸時代には[[宇多郡]]中村([[相馬市]])に遷った。現在は[[日本の市町村の廃置分合|平成の大合併]]を経て南相馬市に遷ったと見られている。相馬市・南相馬市・相馬郡、双葉郡の各市町村にはそれぞれに自治体存在し、独自の行政を行っている。
(※ 相馬氏領と[[伊達氏]]領の境は[[駒ヶ嶺駅|駒ヶ嶺]]なので、駒ヶ嶺以北に位置する[[新地町|新地]]は、伊達氏・[[仙台藩]]の領土であった。)
* 相馬氏に因んだ郷土芸能として[[相馬野馬追]]が、特産品として[[大堀相馬焼]]が有名である。相馬野馬追には公務として相馬市長・南相馬市長などが参加している。
 
=== 交流圏 ===
浜通りは[[太平洋]]と[[阿武隈高地]]に挟まれている為、同じ海沿いに当たる常磐線沿いの市町村との交流が多く、平以南は[[水戸市|水戸]]との、原町以北は[[仙台市|仙台]]との繋がりも深い。このため、[[福島市]](県庁所在地)や[[郡山市|郡山]](交通的・経済的中枢)を抱える[[中通り]]からは半ば独立した地域圏を形成している。特に平以南は、[[東北地方|東北]]の他の地域よりも、水戸などの[[茨城県]]北部との関係が極めて深い。
 
この様相は、観光や物産の宣伝からも窺える。広野町や相馬市などは、浜通りの市町村に重点を置いて宣伝を行っているのに対して、いわき市は、浜通りの市町村に加えて、水戸を初めとする[[茨城県]]北部に対しても宣伝を行っている。実際に、[[中郷サービスエリア|中郷SA]]や[[日立駅]]などでは、いわき市の物産が販売されている。[[道の駅そうま]]の駐車場のスピーカーからは、[[エフエム仙台|エフエム仙台 (Date FM)]]が[[バックグラウンドミュージック|BGM]]の代わりに流されている。タウン情報誌でも、「タウンマガジンいわき」は、浜通り一帯と茨城県北部を取材エリアに納めている(ただし、2011年3月の福島第一原発事故以後、[[警戒区域|退避区域]]では取材不能になっている)。
 
他にも、浜通り北部では[[宮城県]]の民放テレビ局を、浜通り南部の[[いわき市]]では[[広域放送|関東地方の民放テレビ局]]を受信している世帯も多い。
 
;(参考)水戸 - 仙台間の距離
* :[[水戸市|水戸]] - (8068km) km- [[勿来]] (17km) - [[小名浜]] - (15 km10km) - [[平 (いわき市)|平]] - (25 km25km) - [[広野町|広野]] - (20 km20km) - [[夜ノ森駅|夜ノ森]] - (30 km30km) - [[原町市|原町]] - (20 km20km) - [[相馬市|相馬]] - (5510km) km- [[駒ヶ嶺駅|駒ヶ嶺]] (45km) - [[仙台市|仙台]]
 
: *[[Jヴィレッジ]]は、水戸と仙台からほぼ等距離の地点に位置している。
*[[福島第一原子力発電所|福島第一原発]]は、平と相馬からほぼ等距離の地点に位置している。
 
=== 広域行政圏 ===
== メディア ==
=== 新聞 ===
* [[いわき民報]](平)
=== FMラジオ局 ===
* [[いわき市民コミュニティ放送]](平)
 
== 脚注 ==
匿名利用者