「桜井良太」の版間の差分

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== 人物 ==
日本人離れした高い身体能力と、身長に似合わない類希なドリブル・ボールハンドリング力と視野の広さを持つ。バスケットボール日本A代表、李相佰杯日本代表。家族は父・母・姉の4人。姉の[[桜井もも子]]も、[[トヨタ紡織]]所属の同じくバスケットボール選手。
 
== キャリア概観 ==
姉の影響でバスケットを始める。[[桑名市立長島中学校|長島中]]を卒業後、[[三重県立四日市工業高等学校|四日市工業高]]に入学。高校3年生時の[[全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会|インターハイ]]初戦、[[西塔佳郎]]、[[松本怜 (バスケットボール)|松本怜]][[伊藤孝志]]らを擁する強豪[[福岡大学附属大濠中学校・高等学校|福岡大大濠高]]を相手に37点(3P1本、2P13本、[[フリースロー]]8本)をする活躍で番狂わせを起こしてみせた。そんな彼の名を一躍全国に知らしめたのが、高校3年生時の[[全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会|ウィンターカップ]]。[[長谷川誠 (バスケットボール)|長谷川誠]]、[[田臥勇太]]など数多くの名選手を輩出している[[秋田県立能代工業高等学校|能代工業高]]を相手に、51点(うちフリースロー連続記録達成(21本)、3P6本、[[シュート (バスケットボール)|ダンク]]3本)7[[ブロックショット|ブロック]]という大活躍により、ここでもインターハイに続いて、大番狂わせを起こしてみせた。またダンクでリングを掴んだまま回転するさまからメリーゴーランドダンクとも呼ばれ、全国区の選手へとのし上がった。
 
高校卒業後は[[愛知学泉大学]]に入学。1年生時から東海地区、西日本の各大会での新人王を受賞、その後も最優秀選手賞などを受賞。転機は大学3年生の時に訪れる。日本A代表監督に[[NBA]]プレーヤーの[[トニー・クーコッチ]]や[[ドラゼン・ペトロヴィッチ]]を育てた[[ジェリコ・パブリセヴィッチ]]が就任。彼によって、未来の日本代表を担う大学生を集めたスプリングキャンプが行われ、その参加メンバーに選出される。このキャンプで監督の目に止まり、同年日本A代表候補に大学生として[[西塔佳郎]]、[[大宮宏正]]、[[竹内譲次]]、[[竹内公輔]]、[[菅谷徹]]らと共に選出される。その後ヨーロッパ遠征を経て、キリンカップバスケットボール2004、第1回[[FIBAアジアスタンコビッチカップ|スタンコビッチカップ]]に出場。
 
== 外部リンク ==
* [http://ryota11.net/blog/ 桜井 良太 ブログ]
* [http://www.fiba2006.com/national/interview2006-09.html 2006年FIBAバスケットボール世界選手権]
* {{Twitter|Sakurai_Ryota|桜井 良太}}
* [http://number.goo.ne.jp/nba/column/20050719.html/ NBAの扉を開け番外編バスケット日本代表キリンカップでは桜井を見よ!]
*[http://www.spo-navi.jp/athlete/sakurai_ryota/ 桜井良太・応援サイト]
 
{{2006年バスケットボール世界選手権日本代表}}
{{レラカムイ北海道}}
 
<!-- --[[利用者:No1pointguard|バスケット狂]] 2006年6月13日 (火) 12:26 (UTC) -->
{{DEFAULTSORT:さくらい りようた}}
[[Category:日本の男子バスケットボール選手]]
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