「クーロンの法則」の版間の差分

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『エーテルと電気の歴史』のID
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18世紀に入った1729年に[[スティーヴン・グレイ|グレイ]]が金属が電気的性質を伝えることを発見し、その作用をおこす存在を[[電気]]と名付けた。彼はギルバートの電気性物質の区別を、電気を導く物質として[[導体]]、電気を伝えない物質を[[不導体]]と分類した。1733年、[[シャルル・フランソワ・デュ・フェ|デュ・フェ]]が摩擦によって生じる電気には二つの性質があり、同種間では反発し、異種間では引き合うこと、そして異種の電気を有する物質どうしを接触させると中和して電気的作用を示さなくなることを発見した。1746年には[[ライデン瓶]]が発明され、電気を蓄える技術を手に入れた。1750年には検電器が発明され、これらから[[ベンジャミン・フランクリン|フランクリン]]が電気にプラスとマイナスの区別をつけることでデュ・フェの現象を説明した。
 
フランクリンの手紙に示唆されて、[[ジョゼフ・プリーストリー|プリーストリー]]は1766年に中空の金属容器を帯電させ、内部の空気中に電気力が働かないことを示し、重力との類推から電気力が距離の2乗に反比例すると予想した<ref name="aetheraether1">{{Cite book|和書|author=E.T.ホイタッカー|title=エーテルと電気の歴史|volume=上巻|translator=霜田光一近藤都登|publisher=講談社|year=1976|id={{全国書誌番号|69018949}}|oclc=47479976}}</ref><ref name="aether2">{{Cite book|和書|author=E.T.ホイタッカー|title=エーテルと電気の歴史|volume=下巻|translator=霜田光一・近藤都登|publisher=講談社|year=1976|id={{全国書誌番号|69018950}}|oclc=47472027}}</ref>。1769年にジョン・ロビソン([[:en:John Robison (physicist)|John Robison]])は実験により同種電荷の斥力は距離の2.06乗に反比例し、異種電荷の引力は距離の2以下のベキに反比例することを見いだした。しかしこの結果は1803年まで公表されなかった<ref name="shimoda">{{Cite book|和書|author=霜田光一|title=歴史をかえた物理実験|publisher=丸善|year=1996|id={{全国書誌番号|97029323}}|oclc=674852099|isbn=4621042505}}</ref>。1773年にイギリスの[[ヘンリー・キャヴェンディッシュ|キャヴェンディッシュ]]は同心にした2個の金属球の外球を帯電させ、その二つを帯電させたときに内球に電気が移らないことから逆二乗の法則を導き出した。これはまさにクーロンの法則であり、クーロンよりも早く、しかも高い精度で求めていた。しかし、彼は研究資料を机にしまい込んで発表しなかったためにおよそ100年の間公表されなかった。
 
1785年にクーロンは[[ねじり天秤]]を用いて、荷電粒子間にはたらく力が電荷量の二乗に比例し、距離の二乗に反比例するという法則、すなわち以下でしめされるクーロンの法則を導きだした。