「ヤロスラフ・サイフェルト」の版間の差分

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[[1949年]]にはサイフェルトはジャーナリズムを離れ、専ら文学に傾注するようになった。彼の詩は[[1936年]]、[[1955年]]、[[1968年]]には国による重要な賞を受賞し、[[1967年]]にはナショナルアーティストとされた。[[1968年]]から[[1970年]]まではチェコスロバキア作家連合の長を務めた。[[1984年]]にはチェコ語作家としてはじめて[[ノーベル文学賞]]を受賞したが、健康状態がよくなかったため授賞式は欠席し、娘が代理で賞を受け取った(一説には、政府が授賞式に出席させなかったともいわれる)。これはとても重要なニュースだったが、政府の影響下にあったメディアはノーベル賞のことを少ししか扱わなかった。彼は1986年に亡くなり、Kralupy nad Vltavouの市営墓地に葬られた。彼の墓は、政府を批判する立場からの弔問者を阻もうとする秘密警察の強い監視下に置かれた。
 
== 作品邦訳 ==
*ヴィーナスの腕 詩集 [[飯島周]]訳.桐原書店,1986.3.
* [[マミンカ(おかあさん)]]―J・サイフェルト詩集 飯島周訳/ 恒文社 / 1989-022 発売
* [[この世の美しきものすべて]]/飯島周,関根日出男共訳 恒文社 / 1998-11 発売
* [[マミンカ(おかあさん)]]―J・サイフェルト詩集 / 恒文社 / 1989-02 発売
* [[新編ヴィーナスの]]腕―J・サイフェルト詩集 /飯島訳 成文社 / 2000-12 発売
 
== 外部リンク ==