「アルノルト・ベックリン」の版間の差分

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| training =
| movement = [[象徴主義]]
| works = [[死の島]]
| patrons =
| influenced by =
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== 経歴 ==
ベックリンは1827年スイスの[[バーゼル]]で生まれたが、青年期以降はヨーロッパ各地を転々とし、生涯の大部分をドイツおよびイタリアで過ごしている。[[1845年]]から[[1847年]]までドイツの[[デュッセルドルフ]]で学んだ後、[[1850年]]から[[1857年]]まで[[ローマ]]に滞在。[[1860年]]から[[1862年]]にかけてはドイツの[[ヴァイマル]]の美術学校で教えていたこともある。その後、[[ミュンヘン]]、[[フィレンツェ]]、[[チューリヒ]]などに滞在、晩年はフィレンツェ郊外の[[フィエーゾレ]]に住んだ。1874年から1885年までのフィレンツェ時代は円熟期で、『[[死の島]]』をはじめとする代表作がこの時期に生まれている。
 
[[ファイル:Arnold Böcklin 006.jpg|thumb|240px|『死の島』1883年<br />ベルリン美術館]]
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* 聖なる森(1882年)[[バーゼル市立美術館|バーゼル美術館]]
* 波間のたわむれ(1883年)ミュンヘン、[[ノイエ・ピナコテーク]]
* [[死の島]](この絵は1880年から1886年の間に5点が描かれている。)バーゼル美術館(1880年、111x155cm)、ベルリン美術館(1883年、ナツィオナール・ガレリー、プロイセン文化財国立美術館、[[アドルフ・ヒトラー]]が所有していたもの)、ニューヨーク・[[メトロポリタン美術館]](1880年)、[[ライプツィヒ造形美術館]](1886年)がそれぞれ所蔵(加えて、1945年以来所在不明(焼失?)のもの(1884年)が存在した)。それぞれが、同一のモチーフのバリエーションで、作品のサイズも技法も異なる。バーゼル美術館には、これと対比的な『至福の島』(「生の島」とも、1888年)というナイーフのような趣の作品もある。また、[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]([[1909年]])、[[マックス・レーガー|レーガー]]([[1903年]])がこの絵に触発された[[交響詩]]を作曲していることでも知られる。
 
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