「ディディエ・オリオール」の版間の差分

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1993年にランチアは活動を縮小、戦闘力が衰えた為に[[トヨタ・チーム・ヨーロッパ]](TTE)に移籍。同年のタイトルはチームメイトの[[ユハ・カンクネン]]が得るものの、翌94年はサインツとの争いに競り勝ち、三勝を挙げフランス人初のWRCタイトルを獲得する。
 
1995年は前年のサンレモラリーから投入されていた[[トヨタ自動車|トヨタ]]・[[トヨタ・セリカ|セリカ]]ST-205で本格的に戦うこととなるが、カタルーニャ・ラリーに於いてフィニッシュしたオリオールのマシンのターボ・リストリクターがレギュレーションに抵触することが判明、トヨタは1996年、97年のWRC活動を停止することとなり、オリオールは96年のシートを失ってしまう。この年はスバルと三菱からスウェーデン、三菱からサンレモにワークノミネーポッ参戦するも、スウェーデンは10位、サンレモ8位が最高位だと本来の強さを発揮出来なかった。しかし[[オベ・アンダーソン]]監督からマシン開発能力を高く評価されており、翌年4月にTTEと再契約。すぐにカローラWRCの開発テストに携わることとなる。
 
トヨタは1997年の[[トヨタ・カローラWRC|カローラWRC]]での復帰に向け、サテライトチームを使いセリカST-205での参戦を行い、オリオールも97年の第7戦アルゼンチン・ラリーに[[イタリア]]のプライベーター、グリフォーネからセリカST-205で参加し五位に入賞。同年の第10戦ラリー・フィンランドからTTEは完全復帰する。1998年からは[[カルロス・サインツ]]と共にカローラWRCを操るものの、同年と翌年共に一勝のみにとどまる。