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[[File:Hadiqat al Haqiqa de Hakim Sanai, Manuscrito persa de 1894 .jpg|thumb|真理の園 Hadiqat al Haqiqa de Hakim Sanai, Manuscrito persa de 1894 Fundación Lázaro Galdiano.Inventario 15519]]
'''サナーイー'''(ハキーム・サナーイー [[ペルシア語]]:حکیم ابوالمجد مجدود ‌بن آدم سنایی غزنوی Hakim AbulAbu al-Majd Majdūd ibn Ādam Sanā'ī Ghaznavi ? - [[1131年]]?/[[1134年]]?/[[1150年]]頃?没)はペルシアの[[神秘主義]]詩人。[[アッタール]]([[1136年]]頃 ‐ [[1230年]]頃)と共にペルシアの2大[[スーフィー]]詩人の1人、あるいは更に[[ルーミー]]([[1207年]] - [[1273年]])を加えてペルシアの3大[[スーフィー]]詩人の1人に数えられる。[[ルーミー]]は、サナーイーとアッタールについて「アッタールはわが魂、サナーイーはその両目だ。私の詩作はこの2人に学ぶところが大きい」と述べている。[[アフガニスタン]]を支配した[[ガズナ朝]](ガズニー朝、[[955年]] - [[1187年]])末期の君主バフラーム・シャー([[1118年]] - [[1152年]])の宮廷の詩人であった。バフラーム・シャーの[[インド]]への軍事遠征にも随行している。若年時代はシャーを賞賛する頌詩を詠んでいたが後に[[メルブ]]に隠棲し、アブー・ヤークーブ・ユースフについて宗教的生活に入った。「真理の園 حدیقه الحقیقه و شریعه الطریقه Hadiqat al-Haqiqa wa Shari'at al-Tariqa」で知られる。[[ニザーミー]]の「神秘の宝庫 مخزن الاسرار Makhzan al-Asrār」はサナーイーの「真理の園」に倣って作詩された。深遠、冷徹な詩風はルーミーに強い影響を与えた。[[ニーシャープール]]に生まれた、[[ウマル・ハイヤーム]]([[1048年]] ‐ [[1131年]])と大体同時代人。マスナヴィー形式のスーフィー詩はペルシアの神秘主義詩人サナーイーと[[アッタール]]により始められ、[[ルーミー]]のマスナヴィーで集大成された、とルーミーのマスナヴィーの注釈者として高名なイスマイル・アンカラヴィー(İsmail Ankaravîもしくはリュスーフ・デデ Rüsûh Dedeもしくはイスマイル・ブン・アフメド・リュスーヒー・バイラミー・メヴレヴィー・アンカラヴィー İsmail b. Ahmed Rüsûhî el-Bayramî el-Mevlevî Ankaravî [[1631年]]没。17 世紀[[イスタンブル]]の[[メヴレヴィー教団]]のシェイフ)は言う。
 
===参考文献===
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