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[[File:Zinovieff 2.jpg|thumb|グリゴリー・ジノヴィエフ([[1920年]])]]
 
'''グリゴリー・エフセーエヴィチ・ジノヴィエフ'''({{lang-ru|'''Григорий Евсеевич Зиновьев'''}}、ラテン文字転写:Grigorii Yevseevich Zinoviev、[[1883年]][[9月11日]] - [[1936年]][[8月25日]])は、[[ロシア]]の[[革命家]]、[[ソビエト連邦]]の[[政治家]]。
 
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レーニンの晩年から政治局で[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]、カーメネフと同盟を結び、三人組([[トロイカ]])を組んで[[レフ・トロツキー|トロツキー]]と対立し、結果としてトロツキーの失脚と国外追放に関与することになる。[[1924年]]にレーニンが死ぬと、ジノヴィエフは党の最高実力者の一人となるが、その一方でスターリンが書記長として権力を集中していることに危惧を覚え、[[1925年]]レニングラードの党組織を中核とした「新しい反対派」を組織する。第14回共産党大会では、スターリンの「[[一国社会主義]]論」に反対、党の非民主的な指導と官僚主義的統制を批判し、対立していたトロツキー及びトロツキー派と「合同反対派」を結成した。しかし、時既に遅く[[1926年]]政治局員とコミンテルン議長を解任され、党を除名された。翌[[1927年]]第15回党大会で自己批判し、[[1928年]]復党する。カザン大学学長、共産党機関誌「ボリシェヴィーク」編集部員を務めるが、[[1932年]]再度党を除名、[[カルーガ]]に追放される。[[1933年]]復権しモスクワに帰還を許可され、ソ連消費組合中央連合幹部会員に選出される。[[1934年]]第17回党大会の演説ではスターリンを称えるまで落ちぶれた。
 
しかし、ついに[[大粛清]]はジノヴィエフとその周辺にまで及ぶことになる。1934年12月に[[セルゲイ・キーロフ]]が暗殺された事件をめぐり、ジノヴィエフは、事件に連座したとして党を除名の上、逮捕された。[[1935年]]に禁固10年の判決を受け、[[ウラル山脈|ウラル]]の政治犯収容所に入る。翌[[1936年]]、「[[モスクワ裁判]]」でジノヴィエフは1932年にスターリンなど党指導部に対するテロが計画されたという「合同本部」事件で告発され、十月革命の『裏切り』の件まで追及された。ジノヴィエフは[[拷問]]を受けた上、スターリンに生命の保証を約束され有罪を認めたが、結局、[[1936年]][[8月24日]]にカーメネフら15人と共に死刑判決を受けた。その時、「スターリンは約束したんだ、スターリンは…」と口走り、カーメネフに連れられて退廷させられた。
 
死を悟ったジノヴィエフは、処刑される直前、同じく囚われの身のカーメネフに「[[イタリア]]と同じことがおきた」と心情を打ち明けた。カーメネフは「よせ、威厳を持って死んでいこう」と返答したのに対し、ジノヴィエフはイタリアの[[ベニート・ムッソリーニ]]が[[ローマ進軍]]で政権を奪取した例を出し、「ここソビエトでも[[ファシスト]]が[[クーデター]]を起こした」と述べ、嘆いたとされる。
 
助命嘆願を拒否されたジノヴィエフ(裁判官[[ヴァシリー・ウルリヒ]]へは[[ゲーペーウー|GPU]]副局長[[ヨシフ・ウンシュリフト]]から『いかなる助命嘆願も拒否せよ』と指令が出されていた)は、その日の深夜2時に裁判が行われた[[モスクワ労働組合会館地下室]]近くの[[ルビャンカ]]の刑場にて[[ピストル]]による[[銃殺|銃殺刑]]に処された(正確には、兵士を伴った将校から独房から出るように言われて激しく抵抗し、その場で射殺された)。52歳だった。そして、ジノヴィエフの家族も有罪となり殺害され、彼の血筋は途絶えた。
 
死後、52年後の[[1988年]]に[[ペレストロイカ]]に伴い、「歴史の見直し」の一環として名誉回復された。
 
==参考資料==
*『レーニンの秘密』(、[[ドミトリー・ヴォルコゴーノフ]]、NHK出版、1995年
*『スターリン-赤い皇帝と廷臣たち』(上・下)、[[サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ]]、染谷徹訳、白水社、2010年、上巻 ISBN 978-4-560-08045-0、下巻 ISBN 9784560080467
 
==外部リンク==
*[http://www.marxists.org/archive/zinoviev/index.htm Gregory Zinoviev Archive]