「木村晃健」の版間の差分

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[[力士]]を志して[[峰崎部屋]]に入門し、[[1993年]](平成5年)1月場所に'''翔鶴山'''(しょうかくざん)の[[四股名]]で初土俵を踏んだ。[[1995年]](平成7年)5月場所より四股名を'''三杉豊'''(みすぎゆたか)と改名したが伸び悩み、[[1999年]](平成11年)9月場所を以って現役を引退した。最高位は東[[三段目]]60枚目。
 
力士時代のキャリアを活かし、アマチュア時代に本名の木村豊として、『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』の名物コーナー「[[博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜|細かすぎて伝わらないモノマネ選手権]]」に第2回から第6回まで5回連続出場。[[貴乃花光司|貴乃花親方]]の[[ものまね]]で人気を博し、同番組の「世界お笑い水泳2005」という企画に「貴乃鼻親方」名義で出演し、[[選手宣誓]]に当たる「[[奉納]][[土俵入り]]」の大役を務め、MVPも授与された。
 
現在でも趣味で相撲を続けており、中学生への指導を定期的に行っている。
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[[2008年]]の[[M-1グランプリ]]では、当時同じ事務所だった[[小林アナ]]とのコンビ「ランニングパス」で出場し、2回戦まで進出。
 
私生活では献血をこよなく愛し、その回数は150回を超える。本人は「献血をもっと広めていきたい」と常に口にしている。
 
本人は「献血をもっと広めていきたい」と常に口にしている。
 
また、邦画『[[男はつらいよ]]』をこよなく愛し、発売されているビデオシリーズは全て収集するほどのマニアである。