「日本地図」の版間の差分

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江戸時代には公的な地理把握・領主支配を用途とした幕府選の[[国絵図]]など国家事業として地図製作が行われているが、日本全土を対象とした日本地図では安永8年([[1779年]])に日本で初めて経緯度線が入った地図『改正日本輿地路程全図』(通称『赤水図』)が[[長久保赤水]]により刊行された。 測量に基づくものではないが、蝦夷地([[北海道]])を除く日本全土が示されており、経緯度線も含まれていて見やすく、[[明治]]初期まで日本地図として広く一般に使われた(伊能忠敬の地図は国家機密とされており、一般には出回っていない)。
 
[[1800年]]頃から[[伊能忠敬]]らにより、はじめて[[測量]]技術に基づいた正確な日本地図「[[大日本沿海輿地全図]]」が作られた(ただし、それ以前に[[琉球王国]]では測量に基づく正確な地図が作られている)。
 
[[明治維新]]ののち、行政官から府県・諸侯に対し管轄地図を調製させる旨の沙汰[http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40022968&VOL_NUM=00003&KOMA=261&ITYPE=0]が下った。その後、[[1869年]]民部官に庶務司[[戸籍]]地図掛を設置、[[1871年]][[工部省]]に測量司、[[兵部省]]に陸軍参謀局[[スパイ|間諜]]隊を設置、近代地図の作成が開始された。[[1884年]]地図の作成は[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]測量局に統合され、[[1888年]]参謀本部[[陸地測量部]]に改称。[[1925年]]に全国の五万分一地形図を完成させる。これらの組織はすべて国土地理院の前身である。