「ジャック・パランス」の版間の差分

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1940年代はプロのボクサーであった。第二次世界大戦中は[[B-24 (航空機)|B-24]]のパイロットとして従軍、火災で怪我を負って顔に整形手術を受けている。大戦後に[[スタンフォード大学]]で演劇を学んだ。
 
1950年に映画デビューし、1952年の『[[突然の恐怖]]』と、翌年の『[[シェーン]]』で[[アカデミー助演男優賞]]にノミネートされる。その強烈なアクの強い個性は、たちまちハリウッドを席巻し、世界中からも注目の的となっていく。その背景には、戦災によって顔を整形したという影響が少なからず関係しているといえ、奇しくもコンプレックスとなるはずが、怪我の功名に転じたといえよう
 
1950年代後半は、異色戦争アクション『[[攻撃 (映画)|攻撃]]』に主演。売出し中の[[アンソニー・パーキンス]]と共演した『ロンリー・マン』もヒット作となる。以降は、残忍な悪役ばかりではなく、精悍な指揮官役やクセのあるヒーローなど、他の俳優が演じられないような難しい役柄をこなしていく。
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1960年代は、一時ヨーロッパに招かれ、[[フィルムノワール]]や[[ヌーヴェルヴァーグ]]系の映画に出演。ゴダールの『[[軽蔑 (1963年の映画)|軽蔑]]』をはじめ、異色作に意欲を見せ、性格俳優としても開眼する。
 
1970年代、刑事物の人気TVドラマ『刑事ブロンク』シリーズで主演し、日本でもお茶の間で親しまれた。その後は、しばしばB級作品やビデオ映画、チープホラーなどに主演していたが、1987年、[[パーシー・アドロン]]監督作『[[バグダッド・カフェ]]』で久々に復活。ヒロインに想いを寄せ、老いてもなお生きる活力を求めようとする老画家役を、深い印象を残した。その後もコミカルな役柄など、これまでにないキャラクターに挑戦。新境地を開いていく。
 
1991年の『[[シティ・スリッカーズ]]』で[[アカデミー助演男優賞]]を受賞した。その際、腕立て伏せを披露するパフォーマンは語り草となっている(しかも片手腕立て伏せだった。両手なら一晩中でもできると豪語{{要出典|date=2008年3月}})。3年後には同作品の続編でも顔を出した。
 
2000年代に入ってからもTV、映画両面で活動を精力的に続け、『潮風のサラ3/冬の終わり』や『ナイトビジョン』などでは、ミステリアスな老人役を演じ、個性を全開に発揮。健在ぶりを見せ付けことは記憶に新しい
 
2006年11月10日、[[老衰]]のため[[カリフォルニア州]]の自宅で死去。{{没年齢|1919|2|18|2006|11|10}}。