「平成幹」の版間の差分

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'''平 成幹'''(たいら の なりもと)は、[[平安時代]]後期の[[常陸平氏]]の[[武将]]。[[常陸国]][[鹿島郡 (茨城県)|鹿島郡]](現[[茨城県]][[鉾田市]])鹿島郷を領し、[[鹿島城_(常陸国)|鹿島城]]を居城として'''鹿島三郎'''と号し、'''鹿島冠者'''と『[[尊卑分脈]]』には記載された。'''大掾成幹'''あるいは'''吉田成幹'''とも呼ばれる。[[源義忠]]暗殺の実行者である
 
主君である[[源義光]]から源義忠の暗殺指令を受け、義忠の[[郎党]]となる。同じ義光配下の[[藤原季方]]が[[源義明]]の[[刀]]を奪い、それを使って義忠の背後より斬りつけたという。しかし義忠は即死せず、反撃を受けて成幹も負傷した。義忠は出血が激しく、後に死亡した
 
成幹は主君・義光の元へ結果を報告した。負傷していた成幹に対し、義光は弟で[[園城寺]]の[[僧|僧侶]][[快誉]]宛の書状を持たせて養生するように伝え、[[園城寺]]に向かわせる。その書状には成幹の処断が指示されており、成幹は快誉によって口封じのために生き埋めにされて殺害された。のちにこの経緯が漏れたことから、成幹が誰かにこの内容を書き残すなどの方法で伝えていた可能性がある。