「アダム・ラローシュ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
JOREDS (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Kitakamibot (会話 | 投稿記録)
19行目:
|初出場 = {{by|2004年}}[[4月7日]]
|最終出場 =
|年俸 = $7,000,000(2011年)<ref>{{Cite web|url=http://espn.go.com/mlb/player/_/id/5879/adam-laroche|title=Adam LaRoche Stats, News, Pictures, Bio, Videos|work=[[ESPN|ESPN.com]]|language=英語 |accessdate=2011年12月3日|accessyear=2011年 }}</ref>
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* フォートスコット高等学校
39行目:
{{by|1998年}}・{{by|1999年}}の二度[[フロリダ・マーリンズ]]から[[ドラフト会議 (MLB)|ドラフト]]指名されるも入団せず、{{by|2000年}}に29巡目指名で[[アトランタ・ブレーブス]]に入団。その後マイナーリーグでプレーし、{{by|2003年}}には球団内の最優秀マイナーリーガーに選出された。
 
{{by|2004年}}4月7日の[[ニューヨーク・メッツ|メッツ]]戦で6番・一塁でメジャーデビューを果たし、4回に1イニング2安打を記録。メジャー初安打と2安打目を同じ回に記録したのは、メジャー史上4人目、{{by|1988年}}の[[チャド・クルーター]]以来。[[ナショナルリーグ]]では史上初の快挙となった<ref>{{Cite web|last= Bowman|first=Mark|date=2004年4月8日|url=http://atlanta.braves.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20040408&content_id=697817&vkey=news_atl&fext=.jsp&c_id=atl|title=Notes: LaRoche already a 'pro'|work=MLB.com|language=英語 |accessdate=2009年7月2日|accessyear=2009年 }}</ref>。5月15日にはメジャータイ記録となる1試合4二塁打を記録<ref>{{Cite web|url=http://www.baseball-almanac.com/recbooks/rb_2b1.shtml|title=Doubles Records|work=Baseball Almanac|language=英語 |accessdate=2009年7月2日|accessyear=2009年 }}</ref>。5月28日の[[フィラデルフィア・フィリーズ|フィリーズ]]戦で左肩の脱臼により[[故障者リスト]]入り<ref>{{Cite web|last= Bowman|first=Mark|date=2004年5月28日|url=http://atlanta.braves.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20040528&content_id=755535&vkey=news_atl&fext=.jsp&c_id=atl|title=LaRoche goes on DL|work=MLB.com|language=英語 |accessdate=2009年7月2日|accessyear=2009年 }}</ref>。7月2日にメジャー復帰を果たし、後半戦は引っ張るバッティングからコースに逆らわないバッティングへ変えた<ref>{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2005|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005|publisher=廣済堂出版|pages=233項|id=ISBN 978-4-331-51093-3}}</ref>。9月にはシーズン最高となる月間で打率.348・5本塁打・16打点を記録。
 
{{by|2005年}}には20本塁打を記録したが、2年連続で左投手からの本塁打は1本に終わった。[[フリオ・フランコ]]の[[ニューヨーク・メッツ]]移籍に伴い、{{by|2006年}}はそれまでのフランコとの[[プラトーン・システム|ツープラトン]]起用から開放され、開幕から正一塁手として定着。前半戦こそ、打率.251・13本塁打と低調だったものの、後半戦に入ると打率.323・19本塁打と復調した。結局、シーズントータルで打率.285・32本塁打・90打点をマーク。この年の30本塁打はブレーブスの一塁手としては、[[フレッド・マグリフ]]、[[アンドレス・ガララーガ]]に次ぐ球団史上3人目の快挙となった。{{by|2007年}}1月13日、[[マイク・ゴンザレス (投手)|マイク・ゴンザレス]]らとの[[トレード]]で[[ピッツバーグ・パイレーツ]]へ移籍。
45行目:
パイレーツ移籍1年目の2007年は打率.272・21本塁打・88打点と前年より悪化したが、苦手としていた左投手はミートに徹し<ref>{{Cite book|和書|author=友成那智、村上雅則|year=2008|title=メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008|publisher=廣済堂出版|pages=388項|id=ISBN 978-4-331-51300-2}}</ref>、対左投手打率.299と対右投手打率.262を上回った。
 
[[ロサンゼルス・ドジャース]]に所属していた弟の[[アンディ・ラローシュ|アンディ]]が{{by|2008年}}7月31日に[[マニー・ラミレス]]、[[ジェイソン・ベイ]]らとの三角トレードでパイレーツへ移籍。兄のアダムは故障者リスト入りしていたため、初兄弟出場は8月14日。アダムとアンディは今まで同一チームでプレイしたことがないため、ラローシュ兄弟が生まれて初めて同一チームでプレイすることになった<ref>{{Cite web|last=Langosch|first=Jenifer|date=2008年8月14日|url=http://pittsburgh.pirates.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20080813&content_id=3305316&vkey=news_pit&fext=.jsp&c_id=pit|title=LaRoche brothers set to take field|work=MLB.com|language=英語 |accessdate=2009年7月2日|accessyear=2009年 }}</ref>。
 
しかし、2009年7月23日、トレードにより、[[ボストン・レッドソックス]]へ移籍。弟と一緒にプレーしたのは、わずか11ヶ月ほどだった。その1週間後、トレード期限最終日の7月31日に[[ケイシー・コッチマン]]との交換トレードで古巣のアトランタ・ブレーブスへ移籍した<ref>{{Cite web |url=http://atlanta.braves.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20090731&content_id=6169036&vkey=news_atl&fext=.jsp&c_id=atl |title=Braves reacquire LaRoche from Sox Atlanta sends Kotchman to Boston in swap of first basemen |author= |publisher=braves.com |accessdate=2009年8月5日 |accessyear=2009年 |date=2009-07-31}}</ref>。同年シーズン終了時の[[11月5日]]、フリーエージェントとなる。
 
{{by|2010年}}[[1月13日]]、[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]と契約を結んだ。シーズンでは、自己最多の172三振を記録してしまったが、3年連続で25本ちょうどの本塁打を記録。また、自身初のシーズン100打点も記録した。オフにFAとなり、[[ワシントン・ナショナルズ]]と2年1500万ドル(3年目は1000万ドルのオプション)で契約を結んだ<ref>Kilgore, Adam(2011-01-05). [http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2011/01/04/AR2011010406502.html Adam LaRoche finalizes contract with Washington Nationals]. The Washington Post(英語). 2011年12月4日閲覧</ref>。